「世界で最も美しい顔100人」が、大きな批判を浴びたのは、3年前。いわゆるルッキズムに対する拒否反応が、その時一気に吹き出した。その時に、美しさの基準が変わったと、齋藤薫は考える。では、今一番美しい人とは誰なのだろうか?【連載「齋藤薫の美脳格言」】
単に顔が美しいだけの美人の時代は、その時終わった
3年前、「世界で最も美しい顔100人」への批判は大きかった。まだこんなことやってんの? 顔に順位を決めるランキングなんておかしい。美の基準なんて皆それぞれだし…水原希子さんが、そういう発言をしたことがきっかけとなり、声を上げた人が多かった。今振り返ると、この時明らかに、美しさの基準が変わったと思う。単に姿形が美しいだけの人を「美人」と呼んで、崇め奉るのはやめましょうという流れになったのは確かである。
実際には今も、「世界で最も美しい顔ランキング」は存在する。でも正直、それを真っ当なランキングとして受け止める人は激減したはずだ。そして同様に、今なお続いているミスコンも、あくまで参加者が自ら手を挙げて挑んでいるわけで、言ってみればスポーツと同じ、美を競いたいアスリートたちの大会と捉えて良く、だからこれはこれであり。とは言え、美人の定義はもう根底から変わってきている。
その人の美しさは、スケールが違う。ちょっと次元が違う
じゃあ今、客観的に見て、誰が美しいのか? ルッキズムに対して勇敢にも真っ直ぐ批判ができる人、水原希子さんはその一人に間違いない。もともと美しい人が声を上げたことは、とても大きな説得力を持ったはずだし。一方でつい最近、美しい女優を選ぶランキングで、長澤まさみさんがダントツになっていたのを見て、何か久しぶりに納得のいく結果であると思ったもの。なぜなら、美しい前に魅力的であること、才能があること、時代や人の心を読む力があること(それは知性に他ならないから)。それらと、姿形が美しいことが見事に調和を見せている極めて稀有な人だからだ。
最近の、この人の活躍は目覚ましい。単に演技がうまいというレベルではない、この人でなければできない役柄を、コメディからシリアスまで多数作り上げていて、見事というほかない。それはこの人の、人間としての奥行きを見せつける。また、その役作りは、ドラマからCMまで、自分が美しいことを完全に無視し、美しく見せようなどと微塵もしていない、美を超越したところで人間の魅力を描いているからこそ、圧倒的に美しく見えるのだ。いや、自分が美しいことに全くおもねることがない、ショートヘアとすっぴん風美肌は、美しいってどういうことかを改めて教えてくれる。そういうことも含めて、この人の美しさはスケールが違う、次元が違う、こういう人を美しいというのだと改めて訴えたい。
言いかえれば、「あのちゃん」や「やす子」的な強烈なキャラに匹敵するだけの美人女優でないと、もはや物足りなさを感じてしまう。気がつけばそこまで個性美の時代になってしまったのだということ、知ってほしい。この3年で美は、劇的に変わったのだ。