令和の清少納言を目指すべく、独り言のようなエッセイを脚本家・生方美久さんがお届け。生方さんが紡ぐ文章のあたたかさに酔いしれて。【脚本家・生方美久のぽかぽかひとりごと】
地球はどこから見ても丸いけど
言葉のルーツについて考えた。わたしの両親は共に日本人で、日本で生まれ育ったので、母語は日本語なのだが、そういうことじゃない。言語の話ではなくて、自分の“生み出せる言葉”をどこから得たものか、という話。主に思春期に習得した言葉の話。言葉のルーツの話をします。
中学一年生のとき、RADWIMPSの『おかずのごはん』というアルバムが発売された。それを聴いて以来、どっぷりとその音楽、特に歌詞に、心を奪われてしまった。中学生のしがないお小遣いでCDを買いそろえた。新曲をいち早く聴きたくて、ラジオ『SCHOOL OF LOCK!』を聴くようになった。それまではラジオを聴く習慣もなかったので、ラッドがラジオと出会わせてくれたことにもなる。ちなみに当時の「校長」は山崎樹範さんだった。まさか、十数年後に俳優と脚本家として一緒にお仕事をする日がくるとは思ってもみなかった。しかも二回も。人生はおもしろい。
とにかく歌詞が好きだった。学校の机の横に引っかけて常備していた箱ティッシュに『オーダーメイド』の歌詞をちっちゃい字で全部書いた。すきになってから初めて発売されたシングルで嬉しくてたまらなかった。クラスの男の子に「これなに?」と聞かれて「ラッドウィンプスってバンドの曲でね」と説明したが、全然興味を持ってもらえず布教には失敗した。中2なんて悩みの塊だ。悩みがない中2なんて中2じゃない。あれやこれやと関わる人間、関わる事象すべてが悩みの種になってしまう毎日。大人のように自由がないので、その捌け口がない。行き場のないものは停滞する。自分の中に蓄積された悩み、悲しみ、苦しみ、羞恥や嫉妬。それらが渦巻いてどうしようもなくなったとき、音楽は悩みを排除するでも自分を全肯定するでもなく、ただそこに救いとして存在してくれた。ふとラッドの歌詞がみっちりと書かれたティッシュの箱を見ると、生き甲斐のように思えて、生きられた。
活字を読むのが苦手な子供だったけど、歌詞カードはいくらでも読めた。国語の読解問題は苦手だったけど、歌詞の意味は自分なりに何度も何度も嚙み砕いて、飲み込んで、消化し、血肉にし、聴くたびまた別の意味に気付いた。心臓や脳みそをかきむしりながらまた聴いて、読んだ。それが最高に幸せで、その幸せが自分の‟生み出せる言葉”をつくった。
はじめて聴いたアルバムの収録曲『有心論』の歌詞に「誰も隅っこで泣かないようにと君は地球を丸くしたんだろう?」という歌詞がある。その衝撃が何年たってもずっと続いている。そして今、この曲のシングル発売当時、野田洋次郎さんが21歳だったということを知り、さらに衝撃を受けている。直前にお誕生日を迎えているので、制作時は20歳か、それより若いはず。29歳で脚本家デビューし、周囲から「若い」と言われたことが恥ずかしい。今の自分より10歳も若い青年がこの歌詞を書けるというのは、いったいどういうことなのか。単にインプットが多いとか、アンテナが高いとか、そういう類のアレだけではないと思うし、「才能」という言葉で片付けるのもなんかイヤだ。勝手な想像だが、ご本人もイヤだと思う。きっといろんなことに疑問を持てる人なんだと思う。自分のことや、他人のことや、世界のことを、良くも悪くも不思議がれる人なんだと思う。自分もそうでありたい。なんで地球が丸いのかを、自分の言葉で言い表せる人になりたい。
音楽を仕事にする人を夢見たりもしたが、残念ながら音痴だし、楽器は何をやっても下手くそだった。さっさと諦めて聴くことに徹した。野田洋次郎さんみたいに歌えないし、弾けないし、作曲もできない。でも、言葉を紡ぐことはできた。音楽に乗る言葉じゃないけど、ボーカルの口から流れる言葉じゃないけど、俳優さんの口から出る言葉を書けるようになった。
世界に当たり前にあって、みんなが当たり前だと思って素通りしている事柄について、「良い意味に使われるけどほんとにそうか」「こっちから見たらこういう意味にもなる」「その言葉の意味はほんとに一つなのか」と、うざいくらいに考えていたい。つい書いてしまうこういう類のセリフ、きっと一部の人にはうざくてたまらないと思う。それでも、地球がなんで丸いのかという持論を持つことは、無意味ではないはず。中学生の自分がラッドの歌詞で世界の見え方が増えたり変わったりしたように、ドラマや映画を観て新しい世界を知る人がいると信じたい。地球はどこから見ても丸い。でも、見え方は人の数だけあるはず。
大きくは「作家」と呼ばれる仕事をしているので、言葉のルーツを聞かれることは多い。でもそれは、「どのアーティストのどんな歌詞に影響を受けましたか?」な訳がない。尊敬する脚本家さんを聞かれるか、すきな小説を聞かれるかだ。わたしは間違いなく、十代のときに歌詞から言葉のおもしろさを学んだ。きっかけとなったRADWIMPSをはじめ、andymori、syrup16g、ART-SCHOOL、tacica、ASIAN KUNG-FU GENERATION、スピッツ、スーパーカー、クリープハイプ、サカナクション、フジファブリック……羅列すると妙な恥ずかしさがあるほど、自分の青春を支えた言葉を紡いでくれた人たち。一歳のときの言葉は両親から学び、十代以降の言葉は彼らから学んだ。tacicaの猪狩翔一さんの歌詞に至っては文学だと思っています。歌詞カードを是非。もう少し大人になってから知った音楽で素敵なものもたくさんあるけど、でもやっぱり、どうしたって、十代で得た言葉の鮮度には敵わない。
数学がすきで得意で、国語がきらいで苦手だった自分が「作家」と呼ばれる仕事をしている。仕事になったことで活字恐怖症は改善されつつあるが、やっぱり本を読むのは遅いし読解力にも自信がない。それでも言葉を紡いでいる。視聴者の方から「脚本家になってくれてありがとうございます。生方さんの言葉がなかったら今の自分はありません。」という有難すぎるお言葉をいただきました。ただそれは、上に記した作詞家のみなさまにお伝えください。彼らがいなかったら、脚本家である今の自分は、絶対にいませんでした。
生方美久(うぶかたみく)
1993年、群馬県出身。大学卒業後、医療機関で助産師、看護師として働きながら、2018年春ごろから独学で脚本を執筆。’23年10月期の連続ドラマ「いちばんすきな花」の全話脚本を担当。