他者から見たイメージは違う? 今ここで、自分を言い表す形容詞を挙げてみてほしい。優しい、冷たい、明るい、暗い、派手な、地味な…形容詞も様々だけれど、これぞ自分というワードを、思いつくままに。これが簡単そうで難しい。いや言葉にすることはできても、それって本当に正しいのか、というと話は別。今回は、自分が思う自分と、他者から見たイメージの違いについて話したい。【連載「齋藤薫の美脳格言」】
自分が思う自分と、他者から見たイメージは違う?
じつは人って、自分自身が思っているイメージと他者から見たイメージが、けっこう違っていたりするもの。それこそ自分は「明るい」と思っているのに、周りは「暗い」と思っていたりするような、真逆のケースもあるくらい。もしも不安なら、その形容詞を身近な誰かに見せてみて。親兄弟でも親友でも、もちろん恋人でも夫でも。そう、何年かに一度は鏡に自分を映すように、自分のイメージを客観的に見つめてみるといい。
他者からどう見られているのかはもちろん、それは自分がなりたいイメージに沿ったものかどうか、そこをチェックすることは生きていくうえでとても重要だから。なぜならば、人のイメージは知らず知らず道をそれていってしまう。方向が10度でもずれていると、本人が描いているイメージとどんどん異なる人間になっていく。
「あの人変わっちゃったね」って言われるのは、そういう時。本人は全く気づいていないから、怖いのだ。垢抜けたり、イメチェンしたり、痩せたり太ったり、とは違う。体重も顔も変わっていないのに、人に与える印象だけが変わってしまうのは要注意。付き合う男のタイプが変わると、けっこうよく起こりがち。もちろん良い方に変われば良いけれど、人の印象は1%でも下向きの角度がついていると、大変なイメージダウンになってしまうから、常に気を配っておいてほしいのだ。なんか、イメージ違っちゃったね、なんか前の方が良かったねと言われないように。
なるべくたくさん、なるべく複雑な形容詞を持つこと
ただし、自分を形容詞で語る場合、なるべくたくさんの言葉が出て来ないとまずい。2つや3つの形容詞で全て語り尽くされるようでは、やっぱり寂しい。それも、優しい、明るい、派手…みたいに単純かつ同じような方向の形容詞で、矛盾も何もなく言い終えてしまうのでは、やっぱりつまらない。
「彼女はたおやかだね」とか、「ちょっとなまめかしい」とか、「ノーブルだね」「あでやかだね」「イキだね」など、ニュアンスある形容詞でいろいろに褒められる女性こそが魅力的と考えるべき。「彼女はキレイだね、以上!」は、薄っぺらい証。あくまでも雰囲気美を様々に褒められる女性を目指すべきで、「色っぽい」のに「清らかな」といった矛盾がいっぱいあることも鍵なのだ。
そう、だから自分でも、なるべくならば簡単すぎない、雰囲気のある形容詞や言葉の矛盾で自分を表現できるように意識したい。まさにたくさんの形容詞を意識するうちに人は自ずと磨かれる。誰から見ても素敵な、いくつになっても素敵な女性であり続けるはずだから。