本当は興味津々なのに、決して踏み出せない――芸人 紺野ぶるまさんの自分観察。【連載「奥歯に女が詰まってる」】
悪くなくても謝るのが大人
懐かしき「サプリ」というドラマでのセリフだ。自分が当時19歳で大人と子供の境目に敏感だったこともあり、印象に残った一節だった。
37歳になった今でも時々思い出すが、そのきっかけといえば大体「悪くても謝らないのが大人」と感じるときである。
同年代の女友達といるとやけに気になる。例えば身近なところでいうと五分くらいの遅刻である。
「駅にはその時間にちゃんとついてたんだけど…」「久しぶりに来たら駅かわりすぎてて待ち合わせ場所わからなかった」「ずっと違うところにいたわ!(笑)」
私たちは謝らない理由を提示するのがどんどんうまくなるし、人に謝る回数も子供の頃よりもグッと減って五分くらい人を待たせた程度で「ごめんね」とは口元が簡単に動かないのである。
謝らない「その心」がねづっちさんばりにわかるのだから、自分にも多分にそういうところがあるのだとは思う。
しかし何度もされていると目にあまるものがある。指摘などしない方が楽しい飲み会になることはわかっている。
「言いたいことをグッと堪えるのが大人」だが、最近のブームは「言いたいことを言っても関係性が保てるのはもっと大人」なのでついに先日「遅刻だからね!」と言ってみることにした。
彼女は「ぶるまに言われるなんて…」とボソッと呟きすぐに「ごめんね」と言ったが、空気が悪くなったのは明らかだった。
「五分位の遅刻で…」「いや自分だってたまに遅れてくるじゃん」「今ままで許してくれてたのに急に何?!」
と漫画みたいにふき出しが頭上に出ているのが見えた。
そうだ、いつも彼女に感じていた違和感はこれだ。自分には非がないと信じて疑わないところだ。
こういう人は実に厄介である。都合の悪いことをいう相手を完全に「いけず」にできてしまう。怒ったこちらに「私が大人気なかったのかな」なんて、子供相手に本気で怒ったときのような罪悪感を与える。
彼女が子供を連れて我が家に来たときには決定的なことがあった。やんちゃな四歳の男の子、着くや否や我が家のグラスを割ってしまったのである。
「置いておいた私が悪い!」と急いで片付けていると、「掃除機で吸った後に雑巾で拭いたら完璧だって!」とネットを見ながら伝え、雑巾をかけ終わる頃には破片と共にグラスのことはなかったことになった。
子供は元気が一番、子供も彼女ももちろん何も悪くない。お互い様の世界である。
だが、彼女たちが帰った後は「悪くなかったとしても彼女には一言謝って欲しかった」に尽きた。私だったら「せめてグラス代だけでも払わせて欲しい」とか「ちゃんとみてなかったからごめん」とか言わずにはいられないのにあまりにそのそぶりがなさすぎた。
結果「ごめん、グラスあれしかなくて紙コップでいい?」ととんでもない嫌味を言ってしまった。
そして「大人気なかったな…」と罪悪感だけが残るのであった。
それ以来「悪くなくても謝るのが大人」を胸に生きているのだが、これは実際やってみるといいことしかない。
謝ったからと言って何か減るわけでもないし、むしろ微妙な空気を一変することもできる。
悪くないのに謝れた後はなかなか気分がいいものだ。「あ〜大人だわ、まじ聖人君子やん」と鼻高々になる私こそ、まだまだ子供なのかもしれない。
最後に
謝罪を要求する人とかけまして
グラスと解きます。
その心はどちらも簡単に悪物(割るもの)にしてはいけないでしょう。
今日も女たちに幸せが訪れますように。