本当は興味津々なのに、決して踏み出せない――芸人 紺野ぶるまさんの自分観察。【連載「奥歯に女が詰まってる」】
お腹が減っているかどうかわからない女
いつか父や祖母が言っていた「歳をとるとお腹減ってるけど何が食べたいかわからない」。
あの感覚がついにわかるようになってしまった。
最近はもはや「お腹が減っているかどうかもわからない」ことも多いから困っている。確かにご飯の時間なのだがどうも空腹感がない。つまみ食いした気もするししていない気もする。常に体の中になにか余計なものが残っている感じがしてメリハリがない。最後に「腹へったーーー!!!」とご飯をお腹いっぱい食べたのはいつだろうか。
「何が食べたい」というのはないが、「何かが食べたい腹は欲しい」と思う。それは腹の具合だけでなく、日々の端々で感じる。満たされている感覚はないのに、自分が何を欲しているのかわからない状態。コレはなかなか怖い。
これは運動不足から来てるメンタルの落ち込みなのではと走ってみたりするも、どうもいつもほどスッキリしない。ならば気分を変えてと映画を観るも、どうも没頭できない。
マッサージでもと思うが明日にはまた肩がこっていると思うと違う意味で腰が重い。これまで困った時にやっていた手法が一切通用しない。というか知ってしまったのだと思う。
運動をして汗と共にストレス発散しても、映画をみて誰かの人生に感銘を受けても、マッサージに行ってチャクラが開こうとも、また次の日には違うことで悩んでいることを。
その繰り返しで一つ一つの効力は弱まり、自分を癒やす方法がわからなくなってしまった。挙句会う人会う人に「何をしている時が幸せですか」なんて聞いてまわっている。
「ゲーム」「スポーツ観戦」「YouTubeみる」「ラジオを聴く」「お酒」
私どれも、ダメだったんだよなあと思いながら、余暇を愛せている人の仕事や、やるべきことをきちんとこなしているメリハリが眩しかった。
結局はぐうたら暮らしている女の平和ボケという話になってしまうのだが、この状態がこれ以上続くと考えるのさえやめて、人生を消化試合しそうで怖い。
何か知らない世界で新しいことをしなければとこの秋、通信制大学に入学した。
勉強嫌いを拗らせ高校を中退し、通信制高校で高卒を取得した後は大学に一切の興味を持たずして生きてきた私だが、中学生の時に諦めた(早い!)心理学を、大学と大学院でここから学んでみようと決めた。途端、
「ミニマムで卒業してもまだ43? 若い!」と自分の歳が急に幼く感じたのである。
願書を書くだけで知恵熱が出て一瞬心折れかけたが、なんとか今授業を受け「これを求めていたんだ」というところにこれている。
特に専攻の「思春期の始まり」を学んでいる時は痺れた。
「思春期とは様々な心と体の変化を指します。10代前半から人は、自分は一体何者で何が幸せなのか考え落ち込んだりしますが、それも思春期の一つと言えます」
「10代前半…? 思春期? 私37歳…」と一瞬ペンが止まったが、授業は続き、
「しかしそれらの葛藤は大人になっても一生続くものと考えられています。自分は一体何者なのかを考えるのは人間だけの思考なので仕方ないとも言えます」
ふぅ、危ないセーフセーフ。
教科書に戻る自分を俯瞰で見たときに、60歳の時に急にファイナンシャルプランナーの勉強を始めた父を思い出した。周りから「今さらなんのために?」と言われながら猛勉強し、本当に資格取得まで至った父の気持ちがいま手に取るようにわかる。
「知りたい」と思えることは幸せなのだ。
なんの役に立たなくとも何者にもなれなくとも、「それがほしい」と思えた時点でゴールなのだ。
通信大学の自習センターに行くといつもの白髪の紳士が二人、品よく机に向かっている。「楽しいですね」と声をかけたいが、私も静かに座ることでそれを共有し、一生続く思春期と向き合うのだった。
最後に
自分自身とかけまして
食欲がない時に食べたい物とと解きます。
その心はどちらも
少しずつ知るもの(汁物)です。
今日も女たちに幸せが訪れますように。