言葉を大事にする壇蜜さんが“今となっては見慣れすぎて見過ごしがちだが、よく考えると奥深い言葉”を「今更言葉」と名付けて考察。【今更言葉で、イマをサラッと】
その63 好きでも嫌いでもない
ちょっと昔の話。日本でも大ヒットした韓国ドラマ(特に日本のマダムから絶大な支持を得ていた)があった。主人公の男性俳優は瞬く間に人気になり、日本人ファンは彼を様付けで呼び、国をまたいで追っかけをする人までいたという。撮影現場となった場所へ行く、いわゆる聖地巡礼やグッズの入手のため現地へ買い物に…と俳優殿ブームと同時に韓国旅行もブームになっていた。
その茶髪メガネにマフラーが印象的だった俳優殿がとある媒体のインタビューでこんなことを語っていた。「愛することの反対は憎むことではなく、無関心だと思います」…愛について物憂げに語る彼の姿に、どれくらいの方々がハートを射貫かれたことだろう。亡くなった我が家の祖母も、80を超えても彼と中村雅俊氏とリチャード・カーペンター(アメリカのポップミュージックグループ「カーペンターズ」のお兄さんの方)には夢中だった。祖母は「優しそうな雰囲気だけど内に情熱を秘めてるタイプ(?)」がお好みらしい。
無関心は確かに愛とは真逆にある。憎しみは愛をこじらせたような感情だから、真逆でないのも理解できる。一方的に好きになり、報われないと分かったら相手を憎み危害を加える身勝手な事件もある。憎しみも深刻な感情だが、言葉として放たれる無関心の表現、「好きでも嫌いでもない」の持つ破壊力を分かっていただきたい。好きでも嫌いでもないの先には「どうでもいい」が潜んでいる確率も高い。言われた側はあってもなくても、いてもいなくても人生にさほど影響しないですよ…と受け取ってしまうかもしれない。私なら、そう受け取って「興味ないのか…残念」と思う。
ニュートラルな感情にある、気持ち的には凪の状態、好き嫌いではなく普通である等の意志を伝えるために、「好きでも嫌いでもない」と言いたいのは分かる。しかし、好きでも嫌いでもないから伝わるのは無関心さだと今一度訴えたい。「ちょっと好き」「やや苦手」「最近嫌いじゃない」「好き嫌いを決めるには情報足りないかも」的な言い方をすれば話は広がるだろう。言葉だって多少の愛を持って交わしたい。