日ごろから“言葉”についてあれこれと思いを巡らせている壇蜜さんの連載『今更言葉で、イマをサラッと』第35回目。言葉選びと言葉遣いが、深く、楽しくなる。そして役に立つお話。どうぞお楽しみください!
その35 『面倒くさい』
その昔とある人気アニメを観ていて、ガキ大将の少年を周囲が「ブタゴリラ」と呼んでいるシーンに遭遇した。ブタゴリラとは無論彼のあだ名である。しかし、あだ名とはいえブタにゴリラをくっつけるなんて・・・と衝撃を受けた。どちらも見ようによっては魅力的だというのは今なら感じられる。ブタはペットとしても人気だし、動物園ではイケメンゴリラなるゴリラが写真集まで出している・・・が、当時はまだ子供だったので、ブタゴリラと呼ばれる少年やそれを平然と受け入れる様子に驚いていたことをお許し願いたい。
ブタゴリラに勝る勢いで「これはとんでもない言葉をくっつけたものだ」と今更ながら震えてしまう言葉があることを今回は伝えたい。
面倒くさい・・・「面倒」は厄介で煩わしいことであり、その上「くさい」までつけられている。元々は「目どうな」という言葉が変化したもので、「目」は見ることの意味、「どうな」というのは無駄の語源とも言われている。つまり、見るのも無駄である・・・が転じて面倒が生まれた。それだけでもネガティブなのに、くさいをつけて面倒がパワーアップされている。言われたら膝から崩れ落ちてもおかしくない威力を持った言葉、それが「面倒くさい」に備わっている。
頼みごとに「ご面倒ですが」と付け加えると、有無を言わせない雰囲気に持っていけて接客業の際はちょっと役立ったが。それでも親しき仲だとしても厄介な頼まれ案件に対して「えー、面倒くさいー」なんて言いたくないなと、やっと思うようになった今日この頃である。
そうはいっても世の中は面倒くさいことだらけで、理不尽にまみれている。面倒くさい人に絡まれて、面倒くさい仕事を押し付けられ、面倒くさい付き合いに心身をすり減らす読者の皆様の姿が想像できる。そんなときは「ああ、面倒くさい」と呪詛の言葉を吐くことでガス抜きになるかもしれない。面倒くさいを使うときは、嫌な経験を思いだし、静かな所で一人であることを確認してから、ぼそりと悪い子の顔で言うことをおすすめする。