日ごろから“言葉”についてあれこれと思いを巡らせている壇蜜さんの連載『今更言葉で、イマをサラッと』2回目。言葉選びと言葉遣いが、深く、楽しくなる。そして役に立つお話。どうぞお楽しみください!
その2『すみません』
よく使う。いや、つい「使ってしまう」。謝罪するときに、感謝するときに、頼みごとをするときの出だしに・・・などなど、様々なシチュエーションで出てきてしまう。どうして言いやすくなったのだろう。
すみませんには多様性と適応力がありすぎる。謝罪にも感謝にも呼び掛けにも使える言葉はそうそうない。すみませんの万能感に身を任せていると、すみませんの言葉自体がちょっと軽薄になってしまわないか心配になる。私は決してすみませんを憎んでいるわけではない。むしろすみませんはもっと選ばれた状況で満を持して使って欲しいと考える「すみません向上主義」だと思う。
確かにすみませんは「済みません」とも書く。調べてみると、何かが終わっていない、事がおさまっていない、気持ちが不十分などの表現が「済みません」の「何が済んでいないのか」の「何が」となる。だからこんなに用途が様々なのかと納得した。すみませんの万能さは、すみませんの前にくる主語の多さと関係しているようだ。
とっさに出てきてしまう「すみません」は仕方ない。こんなに使い勝手のいい言葉を緊急時に使わない手はない。私もこの記事を書く数時間前、エレベーターで一緒になったお若いご夫婦に利用階ボタンを押してもらい、「あ、すみません。ありがとうございます」と言ってしまったばかりだ。両手が荷物で塞がっていたので助かった。ここでは感謝もそうだが、わざわざ「何階ですか? 押しますよ?」と気を使わせてしまった謝罪に近い感情もある。すみませんでこの2つの感情をしっかり伝えたことになるだろう。
すみませんは時として変形もする。最近では「さーせん」「さっせん」などという若者仕様に変化したすみませんも存在し、親近感を生み出すと同時にちょっと威厳を薄めている。「あ、さーせん」と言われて、すみませんがていねい語でありながらやや軽々しくなってしまったという状況に動揺を隠せなかった。
出来ることなら、すみません以外の言い方をもう一度見直してはいかがだろうか。すみませんは申し訳ありません、すみませんはありがとう、すみませんは失礼致します・・・しかしご注意いただきたい。飲食店や販売店で店員さんを呼ぶ時、すみませんではなく「おねがいします」と声をかけるとちょっとお水の世界っぽくなる。