“わたしの心地よさ”を基準に行動することが、ウェルビーイングに生きるカギになる。そのために、もっと自分自身を知る=自分のトリセツを手に入れませんか? 保健学博士の島田恭子さんがナビゲート。【連載「自分学 わたしのトリセツ」vol.21】
人の能力は有限?それとも拡張的?
仕事や学校でイヤなことがあったら?
ブルーな気持ちを引きずったまま家に帰るから、ちょっとしたことでイラっとしたり、家族にあたっちゃうかもしれません。
仕事や学校でうれしいことがあったら?
ルンルンで帰り、ゴキゲンで家族にスイーツのおみやげでも買って帰るかもしれませんね。
「プライベート」と「仕事」は分けて、というけれど、同じ人間ですもの、なかなかそんなピキっと線は引けないもの。
私たちはみな、いくつかの役割や立場をもって生きています。仕事人、学生、親、子ども、友達…。近所付き合いや地域の活動、趣味がたくさんある方は、それだけ社会的な役割も多く、交友関係も広いでしょう。
この役割の間を行ったり来たりして私たちは過ごしています。私たちが持っている1つの役割が、もう1つの役割に影響を及ぼすことを、波及(スピルオーバー)といいます。これまでの研究から、このスピルオーバーはネガティブとポジティブ、2つの性質があることが分かっています。
「最近仕事が大変すぎて、家もぐちゃぐちゃ。家族にもついあたってしまう!!」というのは、仕事→プライベートへの、ネガティブ波及ですね。このネガティブ波及、1つの役割ともう1つの役割が、互いにぶつかり合うことで生まれる「役割コンフリクト(葛藤)」ともいわれています。役割間でお互いが、ネガティブなぶつかり合いをしている感じです。
この考え方の根底にあるのは、「人間が持つ時間や能力は有限で、役割が増えれば増えるほど、1つの役割に割く時間や能力が足りなくなる」という「欠乏仮説」。つまり限りある資源だから、奪い合いながらネガティブな衝突を繰り返している、といったイメージですね。
一方「最近恋人と、いい感じから、仕事にも精が出てがんばっちゃう」というのはどうでしょう。
これはプライベート→仕事へのポジティブ波及ですね。これは先ほどのネガティブ波及の考え方と真逆で、「複数の役割を持つことで、お互いの役割に良い影響を及ぼし合う」ことに注目した考え方です。
その根底にあるのは「人間が持つ時間や能力は拡張的で、役割が増えれば増えるほど、収入や経験、自己実現やよりどころが増える」という役割増大仮説。つまり、役割が増えれば増えるほど、やり方次第で人脈やスキル、使える手数や楽しさが無限に増えていく、という考え方です。
人生は有限、でも“役割の相乗効果”は存在する
確かに育児や介護と仕事の間で忙しくしているような場合、時間はいくらあっても足りないし、負担感やストレスが多いだけに、ネガティブな影響を感じやすくなるでしょう。ネガティブ波及が高まり、長期に及ぶほど、私たちの健康は損なわれ、やる気も失われることが分かっています。そうなるとなおさら視野が狭くなり、割ける時間も労力も、限りがあるように見えるかもしれません。
でも実はそうでもないのです。役割が増えて大変な反面、付き合いも増え、困ったときのサポートや逃げ場も増えることになります。自分の経験や視野が広がり、ちょっとやそっとでは動じない楽観性も身についてきます。情報や人脈も広がることで、得することもたくさんあるのです。
――「仕事をしながらの子育ては大変だけど、とりあえず保育園に預けて電車に乗ると、そこでリセットされてしゃきっと仕事モードになれる」
――「退職後家で邪魔者扱いされていたけれど、小学校のシルバーさんを始めたら、現職のスキルも活かせるし、子どもたちにも触れあえてなんか楽しい」
確かに人生は有限ですが、こんな役割の相乗効果は確かに存在します。
役割間の波及だけではありません。実はそんなポジティブ/ネガティブな影響は、個人を超えて、周りの人たちにも伝わることが分かっています、「クロスオーバー」という性質です。仕事でいいことがあって上機嫌なキモチのまま、スイーツを買って家に帰れば、そんなゴキゲンは家族にも伝わるでしょう。そのまた逆も、しかりです。クロスオーバーは往々にして循環しますから、まわりまわって自分にかえってくるものです。どうせなら、ネガティブなものより、ポジティブなお持ち帰り効果を活用したいものですね。
自分がもつ労力も、スキルも、笑顔も、人付き合いも、限りある資源なんかではなく、使えば使うほど、湧き水のように増えていきます。ちょっとやそっとでは、無くならないから、どんどん使っていいのです。そしてそれは、周りの人たちにクロスオーバーしていくのですから、とってもお得ですよね。
自分の大切な人を紹介して、良い輪が広がったら心地よい時間が倍増です。無表情より笑顔でいたら、そのうち周りからもあったかい笑顔がもらえます。笑顔の人の周りには人が集まります。労を惜しまずいつも誰かに何かをしている人には、困ったときみんなが助けてくれるでしょう。
限りあるものを奪い、取り合うのではなく、与え合ったら、どんどん増えていく。
私の好きな、相田みつをさんの詩があります。
『うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる
うばい合えば憎しみ わけ合えば安らぎ』
今日から私たちが分け合うことで、この世界が少しずつ、変わっていく気がしています。
参考文献、引用
・島田恭子・島津明人 (2012).「ワーク・ライフ・バランスのポジティブ・スピルオーバーと精神的健康」『産業精神保健』20巻, 271-275.
・Kahn L, Wolf M, Quinn P, Snoek D & Rosenthal A. (1964). Organizational stress. Willey.
・Marks, SR (1977). Multiple roles and role strain. American Sociological Review, 42, 921-936.
・Barnett RC & Hyde JS. (2001). Women, men, work, and family. American Psychologist, 56, 781-779.
・相田みつを(2011). 『うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる』ダイヤモンド社
島田恭子(しまだきょうこ)
予防医学者・保健学博士。医学や心理学の知見を、女性のウェルビーイングに役立てたいと活動中。(社)ココロバランス研究所代表。
https://customer-harassment.org/kyokoshimada/