ワードローブを更新するように、価値観のアップデートを――そう提案するスタイリストの小泉茜さんにも、失敗の経験がある。失言を振り返り、今思うこととは?【連載「わたしを着替える」】
Vol.9 信頼感をレイヤードして
「アラサーでデニムショーツはアウトじゃない?」
30歳のときに友達がデニムショーツを履いていて、鬼の首を取ったようにそう言ったことをずっと恥じている。大人の服に対象年齢なんてないし、その友達はデニムショーツがすごく似合っていて、それがその子のスタイルだったのに。
その時のわたしは「アラサーだから歳相応のファッションをしなくてはならない」と思い込んでいた。無意識のうちに「他人からどう見えるか」を服選びの基準にしていたのだ。
その服選びは、誰のため?
パーソナルカラー診断や骨格診断、顔タイプ診断など、外見にまつわる手引きが多数存在する昨今。これらを駆使して“自分の最適解”を求めることは、ファッションやメイクに対する恐怖感を和らげてくれる。積極的に楽しむための入門としてはとてもおすすめだ。ただ、診断結果が示してくれるのはあくまで「他人からどう見えるか」だ。
顔色に映えているか、痩せて見えるか、キャラに合っているか…。
診断結果で身を固めている人の心と身体は、一体誰のものになってしまうのだろう…。
なんせいまはSNSで世界中の人の情報が簡単に手に入る。
他人の情報で埋め尽くされて「自分はどう感じるか」を考える余裕がもてない。
みんなのファッションやライフスタイルを見ては、それが自分に足りていないと勘違いしてなんとなく欲しい気さえしてくる。
デザイナーが代わって話題になっているブランドの新作バッグだったり、なかなか予約の取れないワインと中華のお店だったり、優しそうな夫と子どもにふわふわの猫まで飼ってる家庭だったり。
でも「他人にとって価値があるもの」が「わたしに必要なもの」とは限らない。どうでもいい誰かを納得させるためにそれらを手に入れても、際限なく他人が持っているものをほしくなる気がする。
わたしはわたしを信頼したい
以前も書いた、今ホットなブランド“FETICO”のモヘアコート。ビッグシルエットが主流となっていた冬のコート界で、ひとり我が道を行くような、シェイプされたシルエットが特徴だ。
このコートに袖を通したとき、小学生のころに母親のツイードコートをこっそり着たときの高揚感が蘇った。あのころは「他人からどう見えるか」なんて発想もなく、純粋にファッションを楽しんでいた。卒業旅行にポインテッドトゥのパンプスを履いて行き、先生に呆れられたり、赤眉にして学校に行ったら友達に純粋な目で「眉毛赤いよ?」と指摘されたり…とにかく装いの基準は“自分が着たいから”だった。
それからたくさんの服を着て成長するうちに、わたしが意図しようがしまいが服はとても饒舌であることを学んだ。いつしか、ファッションとは“他人から評価されるために自分をラッピングするもの”だと思うようになっていた。
そんなわたしに「着てみたい!」という純粋な気持ちを引き起こすことで、このコートは「自分はどう感じるか」を基準にした服選びを思い出させてくれた。
「わたしに必要なもの」ってこういうことを言うのだと実感した。
しかも不思議なことに、ファッションを「自分はどう感じるか」で選ぶようになると、さまざまな場面で自分の意見を大切にできるようになる。
「わたしはわたしの意見を大切にしてくれる」という自分への信頼感は、どんな服よりも暖かい。FETICOのコートとレイヤードして、残りの冬も乗り切りたいと思う。