ワードローブを更新するように、価値観のアップデートを! スタイリスト 小泉茜さんによる連載エッセイ「わたしを着替える」。
Vol.4 ボディポジティブ1年生
今年も夏が来る。
わたしは気温とテンションが比例する村の民で、今年で35回目の夏なのに例に漏れずワクワクしている。
昨年購入したCLANのセットアップはどことなくダークなプリントが印象的で、ボディコンシャスなところが気に入っている。これを着ると、肩周りが孫悟空なところや、胸が薄いのに腰周りが太いところや、年齢と共に出てきた下っ腹さえも気にせずThis is me!と踊り出したくなる。
「画一的な美の基準はインストールされていませんので」という価値観を纏える、コスプレ的な魅力のある服だ。
でも、これを着ていないと、わたしの頭はすぐに「3キロ痩せたい」と考え始めてしまう。
SNSやメディアで堂々とカーヴィーボディをさらけだす人がまぶしく見える。
ありのままの体を愛そう、というボディポジティブのムーブメントには食い気味で賛成なのに、 「服を綺麗に着たいから...」などと言い訳がましく腹筋をする毎日だ。
痩せてもいなければ太ってもいないこの体……わたしはどこに向かうべきなのか。まだ出口が見えないでいる。
どんな体も美しいというテーマで、一般女性のヌードを撮っているカメラマンの花盛友里さんの撮影に参加したときのこと。
このときもモデルの方々は、年齢も体型もバラバラの一般女性たちだったのに、誰1人として自分の体型を恥じる様子もなく、誇らしげな笑顔でヌード撮影している姿を見て泣きそうになった。こんな世界があったなんて…!
あの子の肉付きの良いお腹周りにも、あの子の浮き出た肋骨にも、ネガティブな感想なんてまったく湧かない。もはや個体差こそが美しい。わたしも裸になって、ここにいる誰とも同じではない身体を誇りたくなった。
(ぜひ、花盛さんのInstagramを覗いてみてほしい。素晴らしい世界があなたを待っている)
そして気づいた。わたしたちにはサンプルが足りないのだ。
痩せている人、ふくよかな人、どちらでもない人、さまざまな女性をメディアで見て育つべきだった。スレンダーでない普通の人が、タイトな服や露出の多い服を楽しんでいるのを、街でたくさん見るべきだった。
ふくよかな女性が魅力的とされる文化もあるのだから、わたしたちの美意識は、本能ではなく後天的なものであるはずだ。
YouTubeの広告、雑誌のダイエット特集、テレビで見る太った女性タレントの立ち位置。真面目なわたしはメディアが発信するメッセージをきちんとインストールして育ってきたのだろう。
このことに気づいた今こそ、痩せていることを美しさの条件とする価値観をアンインストールするべきなのかもしれない。
以前読んだ光浦靖子さんのコラムにあった「面白い人はいろんなことに面白さを見出せるからゲラ(=笑い上戸)が多い」という言葉を思い出す。
その法則にあてはめると、多様な美を見出せる人こそが美しい、ということになりそうだ。それにゴッホはこう言ったそうだ。
「美しい景色を求めるのではなく、景色のなかに美しさを見つけるのだ」
まずは自分以外のあらゆる人の美しさを見つけること。そうすればいつか、自分のありのままの美しさというものも、感じ取れるようになれるかもしれない。
わたしも美しいし、あなたも美しい。
その感覚が当たり前になったとき、世界はどう見えるのだろう。私の意識改革は、始まったばかりだ。
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