ワードローブを更新するように、価値観のアップデートを! スタイリスト 小泉茜さんによる連載エッセイ「わたしを着替える」。
Vol.7 脱エイジズム宣言
成人したときに母親が贈ってくれたシャネルのスカーフ。
正方形ではなくマフラー型の普段使いしやすいものだけど、15年経ったいまも一向に似合わない。スカーフがあまり流行っていないというのもあるけれど、それ以前にこの上品さがわたしのスタイルにはなんだか浮いてしまうのだ。もらった当初はまだ若いからこの上品さに追いついていないのだ、と割り切っていたが何年経ってもシャネルのスカーフは「ごめん、先行くわ」と言って追いつけない。
先日、ぎっくり首になっていよいよ年齢を感じた。それまでは一緒に仕事する人の年齢が干支一周違ったりして自分の年齢を再認識するくらいだったのに…
最近は朝まで飲むと二日酔いならぬ三日酔いだし、シャネルが似合わなくてもどうやら肉体はしっかり老いているらしい。
女性は常にジャッジされる側、という問題
ある大人の女性向けファッション誌を読んでいたら、モデルさんの対談ページで「これ以上歳を取るのが嫌だ」と話していた。美も富も名声も、全てを手に入れているまごうことなき勝者の彼女たちでも老いたくないと思っている、と共感を与える対談内容だったが、逆にどんな女性でも老いは避けたいものなのかと絶望してしまった。
男性誌の対談や男性の飲みの場でもこんな会話が繰り広げられることはあるのだろうか…
現代の日本に男女格差なんて無いと感じている人でも、エイジズム(年齢に基づく蔑視や差別)に遭遇せずに生きながらえてきた人はきっといないだろう。そしてエイジズムは女性の方が受けやすい。というか、日常的に年齢(と、それに基づく外見)でジャッジされている。
おじさんと呼ばれる年齢の男性が、自身をそれはそれは高い棚にあげて女性の年齢と容姿をジャッジしている様子を人生で何度も見てきたし、30代以上の女性を自他ともに“BBA”と揶揄する言葉があっても30代以上の男性を“GGI”とは呼ばない。
男性はジャッジする側で女性はジャッジされる側という構図こそが、この国の男女格差を象徴しているみたいだ。
若さや外見でジャッジしてくる人は置いていこう
同世代の女友達が「もうBBAだから」と言っているのを何度も見てきてやるせない気持ちになったり、わたしも場を和ませるためつい口にしてしまうことがある。でも、本音をいうとわたしの魅力は10年前よりも、いや、成人を迎えたときよりも確実に増していると本気で思っている。
人の魅力は若さや外見だけでは決まらない。
人生で経験する出来事について、どれほど向き合い、悩み、咀嚼して栄養にしてきたか。知性や葛藤や経験からなる自信こそがその人の魅力になり、外見にも表れる。
それは誰とも比べられず、決して減ることのない価値。むしろ、ワインのように熟成され、更に深みを増していく。シャネルのスカーフはその成熟を待っているような気がする。似合う似合わないなんていう見た目の次元ではないのだ。
もしいま年齢による不安を感じ、男性や社会からのジャッジに引け目を感じている女性がいたら全力で伝えたい。女性の魅力を自分で判断せず、若さや外見などの社会的に評価されている基準でジャッジしてくる人はいまここに置いていこう。わたしたちの合言葉はシャネルのスカーフのように「ごめん、先行くわ」だ。
小泉茜の【わたしを着替える】をもっと読む。