毎月、おすすめの書籍3冊をライター・温水ゆかりさんがご紹介。
『名著入門 日本近代文学50選』
産声を上げてまだ百数十年、社会の変化に磨かれてきたニッポンの文学
古典や名作を紹介する本って、なんか圧、大きくないですか? でも、この『名著入門』は楽しい。全然圧を感じない。不思議だなあ。
サブタイトルにある「近代文学」とは明治以降に生まれた文学(小説、詩歌、戯曲など)のこと。明治維新で西洋の最先端文芸を知った先人達は、どんな日本語で(文体)、何を書けばいいのか(テーマ)悩んだ。いい例が夏目漱石かも。生まれた翌年が明治維新の漱石は漢詩を創っていたが、「吾輩は猫である。名前はまだない」とか、「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている」(『坊っちゃん』)などの書き出し名文で、「これなら分かる!」と庶民に小説の面白さを伝えた。
一方テーマは、これはもう「近代的自我」ってやつ。江戸の身分制度から解放されたものの、かえって不安が増す。身勝手なエリート青年の苦悩『舞姫』(森鷗外)から、日本初の社会派小説『破戒』(島崎藤村)、情けない『蒲団』(田山花袋)まで、大小さまざまな自我の苦悩が描かれた。
大正時代には芥川龍之介が短編というジャンルを築き(日本人は短編小説好きとして有名)、戯曲では岸田國士が日常会話だけで劇が成立することを証明する(小津映画のご先祖さまみたいだ)。
この本が親しみやすいのは、クスリと笑う記述があると同時に著者の体温を感じるからだと思う。著者が岸田國士の戦争責任を問う文章を書いたとき、娘の岸田今日子さんにお断りの手紙を書いた。すると今日子さんからはお礼と「父はドン・キホーテのような人でした」と記す美しい葉書が届いたという。ここでは書けなかったけれど、戦後文学の所で井上ひさしさんや別役実さん、石牟礼道子さんと交わした言葉なども宝石のよう。故人達の精神に触れて、ちょっと泣けたのだった。
『数学の女王』
数学者だった米国の爆弾魔(ユナボマー)。彼に共感を寄せる犯人とは?
札幌に新設された理系の大学院大学の学長室で爆発事件が起こる。無差別テロか、学長を狙った怨恨事件か?
捜査に当たるのは前作(江戸川乱歩賞作)のヒロインで、博士号を持つ北海道警察のノンキャリ沢村依理子。前作が未解決事件に沢村の失意と挫折が絡む警察小説だったのに対し、今作はテロ+「警察vs公安」(仲が悪いので有名)。男性刑事が育休をとるなど、頑固な男社会にも吹き始めたジェンダーフリーの風。その光と影が交錯する。
『帆立の詫び状 てんやわんや編』
爆売れ中の新進エンタメ作家は“狂”が付くほどのバッグフェチ
旅行したいし、読みたい本もあれば会いたい人もいる。でもデビュー作から爆売れした新進作家はそれができない。単身赴任するはずだった夫に急遽付いて米国へ。体のいい逃亡である。第一章ではディズニーランドなどに遊び、第二章では日米どこにも入荷がないエルメスのバーキン探しのさすらい旅を語り、第三章ではエンタメ作家としての覚悟(売れるものを書く)を記す。こういうカジュアルなエッセイ、定期的に出るといいな。楽しいもん。