映画ライター渥美志保さんによる連載。ジャンル問わず、ほぼすべての映画をチェックしているという渥美さんイチオシの新作『きまじめ楽隊のぼんやり戦争』をご紹介。作品の見どころについてたっぷりと語っていただきました!
思考停止したシュールな世界に、流れる音楽
人物たち服装や建物のクラシックさを見ると、時代は昭和の初期くらいでしょうか。舞台となった小さな町は随分前から戦争中のようで、町長は「町を挟んで向こう岸の町から脅威が迫っています」と町民を駆り立てますが、「どんな脅威かはわかりません」と、その後に続けて具体的なことは何ひとつ言いません。
戦争の様相も、他の映画で見る「いわゆる戦争」とはまったく違います。人々は毎朝兵舎に通勤し、ロッカールームで戦闘服に着替えて川岸に行き、9時から5時まで川岸で戦闘――といっても五月雨式で、向こう岸からパン!と撃ってきたら、こちらからもパン!と撃ち返す、という程度の――に参加するという具合。拍子抜けするほどめちゃめちゃ温度が低い。でもここより川上では随分と激化しているらしく、近々「とにかくすごい」部隊も町にやってくるようです。
兵士たちははっきりいって状況を飲み込めてはいませんが、従わないと怒られるし、とにかく張り切って参加すれば出世もできるみたいなので、戦争に参加しています。でもこの戦争がなんで始まったのかも、向こう岸についてなにか知っている人も、町にはひとりもいません。
そんななか、兵士だった主人公は楽隊に転属することに。この戦争の最中に「音楽が何の役に立つのか」と聞かれば、本人にもよくわかりません。
登場人物たちはみなロボットのように直線的に動くし、セリフは棒読みです。それが執拗に繰り返され重ねられることで、シュールなクスクス笑いの世界が展開してゆきます。同時に観客は、感情に振り回されることなく、そこにある現実の禍々しさを直視できます。
例えば戦争で片腕を失った兵士や子どもが産めない妻が「役に立たない人間」かのように切り捨てられること。横行するお役所仕事、組織の中にはびこるひどいパワハラ、犯罪を免除され要職につき、更に悪事を重ねる権力者のドラ息子。そして人々は、そういう理不尽に何の疑問も持たず「そういうものだ」と思考停止で受け入れてしまう。汚職やコロナ禍に対する政治や、多様性に不寛容な社会が、そこに透けて見えます。
唯一情感が漂うのは、主人公が向こう岸からの音楽を耳にする場面です。トランペットを手に人気のない川岸を訪れた主人公は、向こう岸に向かってトランペットを吹く。すると向こう岸からも同じようなトランペットの音が聞こえてくる。その呼応が作り出すメロディの、優しさ、美しさ。姿は見えないけれど「向こう岸」にいるのも人間。世界はそれを忘れているのかもしれません。
『きまじめ楽隊のぼんやり戦争』
監督・脚本・編集・絵/池田暁
出演/前原滉、今野浩喜、中島広稀、石橋蓮司ほか
http://www.bitters.co.jp/kimabon/
(c)2020「きまじめ楽隊のぼんやり戦争」フィルムプロジェクト
※3月26日(金)テアトル新宿ほか全国順次ロードショー
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