人は何を目にして美しいと感じ、心を奪われるのかーー。「うつくしき」存在は、癒やしであり、感動であり、刺激であり、明日に向けての大きなモチベーション。脚本家・生方美久さんが、“うつくしきもの”をテーマに書き下ろしたショートストーリー「左利きの彼女」。その前編をお届け。
彼女は箸の持ち方がひどく悪い。
何度も横目に見ているので、複数人の箸を持つ手元の写真を並べられても迷わず彼女のものを当てられる自信がある。
でも、あの複雑に5本の指が絡み合った持ち方を再現することはできない。そんな感じ。
そんな感じを彼女に伝えてみたところ、「左利きだからじゃん?」と言っていたけど、そういうことじゃない。
彼女は美に疎い。
「根元が伸びてきたときになんか、そこだけ黒くなってさ、変な感じになるでしょ。それがイヤなんだよね」とのことで、髪を染めない。
「白はなぁ、汚れるからなぁ」と母親みたいなことを言って白い服は選ばない。
「スカートって揺れるんだよね。わかる? 動くたび揺れるから、動くたび神経使うの。気を遣うの」と言って、スカートをはかない。
「違うよ。歩きにくいとかじゃなくて。足痛くなるとかじゃない。ただスニーカーが好きってだけ」と言いながら靴ヒモを結ぶ彼女の家に、ヒールの高い靴はない。
「え、だって耳たぶにも痛覚あるよね? 穴開けたら痛いじゃん」
うん、痛いだろうね。
指輪はただの金属の輪っか、ネックレスはただの金属のチェーン、髪飾りは頭を重くする拷問。ネイルは爪呼吸を妨げる殺人行為。
……さすがに爪は呼吸してないよと指摘した。
「バレたか」と、ふにゃっと笑っていた。
そんな具合に、彼女は悪気なく女性たちの美への努力を突っぱねる人だった。
そんな彼女が、ぼくの昔からよく知っている彼女なので、今更もう余計なことは言わない。
高校2年のとき、箸の持ち方について「いい加減、正しい持ち方にしなよ」と言ったら、「正しい?」とひと言返された。
いつもは言い訳じみたことをだらだらねちねちとしゃべる彼女が発したそのひと言は、15年ほどたった今もずっとぐずぐずとぼくのなかで渦巻いている。
正しさが美しさという固定観念は、高2の頃も、大人になった今も、とてつもなくダサくて恥ずかしい。
彼女はその後、相変わらずな箸の持ち方で器用にラーメンをすすったあと、「この変な持ち方でもこうやって上手にラーメン食べれるわけじゃん。正しい持ち方にしたらさ、食べ方は下手くそになると思うよ、ラーメンでそこらじゅうびちゃびちゃにしちゃったりして。それでも箸は正しく持つべきなの? ラーメンびちゃびちゃのほうが美しくなくない?」と、だらだらねちねちとしゃべっていた。
その話の流れで、まったくそんな話の流れではないのに、「大学は東京行くね」と唐突に言われた。
あまりにもそんな話の流れではなかったので、ラーメンを飲み込んだと同時に「そっか」と言った。
だから何と言うことでもない。遠距離恋愛というやつにはならない。
近所の友達が、地元の友達になるだけだった。
ーー続きは後編へ。
生方美久(うぶかたみく)
1993年、群馬県出身。大学卒業後、医療機関で助産師、看護師として働きながら、2018年春ごろから独学で脚本を執筆。2022年10月期の連続ドラマ「silent」の全話脚本を担当。