本当は興味津々なのに、決して踏み出せない――芸人 紺野ぶるまさんの自分観察。【連載「奥歯に女が詰まってる」】
「あいの里」に出たいから離婚したい女
最近恋愛リアリティーショーでもっぱら話題なのが「あいの里」である。
わたしも人に勧められて観始めたが、これが新鮮で最高に面白い。
“あいの里”と題してるだけあってあの“あいのり”と同じシステムなのだが、大きく変わったところが二つある。
まずラブワゴンがラブヴィレッジに変わっている。
ピンクのワゴンで全世界を旅して、好きになったら告白してキスして帰国なのがあいのり。人里離れた一つの古民家に男女で住み、好きになったら告白してキスして帰るのがあいの里。
そしてなんといっても、参加資格年齢が35歳以上というところである。下は35歳、上は60歳まで、未婚から、バツ1、バツ2、子持ちだったりもする。昼間は古民家のリノベーションをしたり、畑を耕し自給自足、料理をしたりする。そして夜は火を囲んで酒を飲む。
これまでのことを語りながら酒は進み、下ネタもわりと序盤で話し出す。次第になにもかも忘れようとするかのように大自然の中で酔って踊る姿は味わい深いものがある。腰が痛いとか、血圧があがるとかそんな会話も飛び交い、初期の頃は自虐ネタが多いあいのりくらいにしか捉えてなかった。
しかしながらエピソードが進むにつれ、“こんな泣かされるなんて聞いてないよ”と驚くのである。
まずあいのりとの一番の違いは参加者の目的が“恋愛”ではなく“結婚”というところだろう。見た目が好みとか、話してて楽しいとか、ドキドキするよりも、まずかかる生活費はどれくらいかから入り、貯金額、戸籍、子供、介護、墓問題など話題はシビアである。
が、これらの話にいつでも単刀直入で、お互いが人生にその速度をもとめているのが心地がいい。その人がこれまでどんな人生を送ってきたかをバックストリートボーイズの「I Want It That Way」にのせて回想する白黒のアニメーションの演出は、どうしたって感情移入してみてしまう。みな一度深く傷ついていて、こういうのに参加する人にいつものようにいじりシロみたいなものを探していた自分が恥ずかしくなった。もはや恋愛リアリティーショーというよりノンフィクションに近い。
そこにいるのは“男女”ではあるが、“人と人”といった表現の方がしっくりくる。改めて恋愛と結婚は違うのだなと思い知らされた。
結局残りの人生一緒に過ごしたいのはどんな人?となったとき、ビジュアルやエロはあまり作用しない。男女共通して、最初にくるのは思いやりがある人なのだと感じた。動物を愛する心優しい60歳の女性が誰よりもモテモテなのが痛快でかっこよかった。
そして日々生活する上で、料理ができるというのは本当に大きい。自給自足のあいの里では3食のご飯はもちろん、取って来た梅でジャムをつけたり、おやつが作れたりと少し映えなものをこしらえるとすぐに相手と一緒に生活したときのことを想像する。
そしてプレゼントというのもまた事が発展しやすかった。あいの里では自然のものや手作りのものしかプレゼントしてはいけない決まりのため、四葉のクローバーやお手製水筒などが登場した。カップルになって帰っていた人たちは共通してこのような心のこもったプレゼントがキーとなっていた。
これを観ていて思った。
人はいくつになっても自分次第で人生の主人公になれる。
そして何度だって人は人に出会う。
前を向いているひとは魅力的。
私自身離婚の予定や積もりつもったものがあるわけではないが、これを観終わったあと「離婚してもあいの里に出たら幸せになれる」とトンチンカンなことを考えていた。なんなら物語が佳境なときは「あいの里出るために離婚したい」と突発的に思ったりした。
私にはなにかあったとて、離婚する勇気もそのあと前をみる勇気もきっとどちらもないのだけど。
だから余計に画面の中の酒を飲んで踊る選ばれし者たちが眩しかったのであった。
最後に
古民家とかけまして
人生と解きます。
その心はどちらもいくらでも修正可能でしょう。
今日も女たちに幸せが訪れますように。