E-girlsメンバーの山口乃々華さんが、瑞々しい感性で綴る連載エッセイ「ののペディア」。今、心に留まっているキーワードを、50音順にひもといていきます。
第43回「ろ」:ロマンティック
わたしの家族は、感動の場面を作ることがとても苦手だ。
例えば、母の日に「ありがとうの手紙」を書くこと。その手紙を渡し、読んでいる母が目の前で感動し涙すること。
父の日に、家族で力を合わせて父の好物を作ってあげること。「お父さん、いつもありがとう、大好きだよ」と言うこと。
こういった感動の場面とは、幼い頃から無縁だった。父の日の例えなんて、裏で毒殺計画でも練っているに違いないと思ってしまうほど。
うちってなんというか、ロマンティックのかけらもないよなぁ、と、ドラマや映画の世界と比べて、よく思っていた。
きっと母から受け継がれたこの感覚は、母に「ありがとう」を言いたくないわけでも、父に料理を作ってあげたくないわけでもなくて、ただ家族の距離感をシーンによって急に遠くにしたり、近くにしたりする感覚が妙に小っ恥ずかしかったのだと思う。
中学卒業の時に両親へ手紙を書く時間があり、クラスの子が時間をかけて書いているのを横目に、わたしは「いつもありがとう」の一言ですぐ書き終えた。それ以外、何を書いたらいいのか、本気でわからなかった。残り時間、ぐすんとすすり泣く音が聞こえてきた時には、机に突っ伏していた顔を思わず上げた。「すごいな」と自分の持っていない感覚に驚く気持ちとともに、ちょっとオーバーだなと思ってしまったことも事実。
そういえば、姉もいつか同じ状況に驚いたと言っていたことを思い出した。
あのすすり泣いて手紙を書く感覚のほうが普通なのだろうか、うちはドライなのだろうか、心が貧しいのだろうかと少々悩んだ。その結果、うちはやっぱりちょっと特殊なのかもしれないと思い、母にそれを伝えてみたところ「特殊か特殊じゃないかなんて、ほかの家族にならない限りわからないでしょう。うちは普通」と言われ、確かに。と思った。
・・・
わたしは、中学を卒業したのち上京して、寮でひとり暮らしをはじめた。あまりにサラッと家を出て行ったわたしを母はどんな気持ちで見送っていたのだろう。
母もやっぱり特別なことはしないで「はい、気をつけてね! いってらっしゃい!」と、いつものトーンで言ってくれた記憶がある。
上京し、ひとりのさみしさを知った。そしていろいろな人と出会って、話をして、わたしの心にはなかった温度を伝えてくれる友人もいて、わたし自身が段々と変わり始めた。
そして徐々にわかってきたことがある。
もしかしたらわたしは、勘違いしていたのかもしれない。
きっと、感情が薄いとかドライだとかいうことではなくて、ただ物事をおおげさにしないことが我が家の暗黙のルールだったのだ。小さな感情は小さいままで、心のなかで大切にしていればそれでいい。
ただの照れ屋だとも言えるかもしれないけれど、日々の暮らしの中で、自然とそこにある感情を、そのまま受け止めるというのも、ひとつの立派なポリシーだ。
ロマンティックという言葉には、恋愛的な意味だけではなく、感情を大切にする、というニュアンスがあるらしい。そういう意味では、我が家だって、あのすすり泣いていた子の家族に負けず劣らず、ロマンティックだったと言えるかもしれない。
映画やドラマの中のような感動的なシーンはないけれど、そのおかげで仮面を付けずに生活することを教えてもらった。家の中では、感情をあえて抑えることも、大げさにすることもなく、いつも“気楽”でいられた。
もう、絵に描いたような感動的なシーンをうちの家族に望むつもりはまったくない。
小っ恥ずかしくなるような言葉を掛け合う相手は、友人や、東京で出会った人だけでいいや、と思う。
とはいえ、伝えておきたいことは伝えられるうちに伝えておかないと、いつ何が起こるかわからないと感じる今日この頃。
家族と離れている今だからこそ湧き上がってくる感情もあるから、そのまんまの大きさと温度で、しっかり伝えていきたいと思う。
【ののペディア/ロマンティック】
そのまんまの感情を大切にすること。