日ごろから“言葉”についてあれこれと思いを巡らせている壇蜜さんの連載『今更言葉で、イマをサラッと』第31回目。言葉選びと言葉遣いが、深く、楽しくなる。そして役に立つお話。どうぞお楽しみください!
その31『エモい』
ナウい、サボる、半ドン・・・皆さんはこの言葉たちの意味をご存じだろうか。これらは「今っぽい」「すべきことを故意にしない」「通常の半分の勤務時間や修学時間」を表現する西洋の言葉と日本語が交じった、しかしながら歴史ある言葉たちだ。ナウは英語で今を表し、サボはフランス語で木靴(木靴で機械を壊す労働者の運動が存在したため)を意味し、ドンはオランダ語のドンタク・・・休日を表す言葉でもある。
和洋折衷の言葉は俗っぽいという意見もあるが、半ドンなんかは私が生まれる前から存在していたので、先輩には俗っぽいとはいえない。その後2000年あたりには「チョベリグ」「チョベリバ」などという今思えば核心的な「日本語と英文を合わせて略して日本語のように使う」風潮も生まれるのだった。このようにこの国では次々と新たな言葉、新たな概念、新たな言語の組み合わせが生まれるので、辞書を作成するサイドはきっとてんてこ舞いだろう。
最近では「エモい」という表現がよく使われるようだ。エモはエモーショナルからくる。感情が強く動かされた状態や、感情が高まって覚える興奮などの意味を持つのが「エモい」だ。「あのアイドル、ダンスがエモい」「このケーキのデコレーション、マジエモい」・・・自分の感情に訴えかけてくる情熱や可愛さや美しさをちゃんとキャッチしています、というときに「エモい」が発動する。自分だけが受け取れるエモさもあるようで、私にはこれのこの部分がエモく感じるという、己の特別な感受性を披露する場合にも「エモい」は使い勝手のいい言葉といえよう。
何でもヤバいやカワイイで片付ける時代もあった。しかし、今はどうやら共通語「エモい」で始まり、その後自分がなぜ「エモい」と思ったかを解釈して個性を育むような時代が来ているようだ。同じ子猫を見ても「エモい」という感想の後で「肉球が」「大きさが」とエモいポイントは分かれるのかもしれない。~でエモい。~だからエモい。そんな自分だけのエモいを探すのも、大人のたしなみなのだろうか。