さまざまな経験、体験をしてきた作詞家 小竹正人さんのGINGER WEB連載。豊富なキャリアを通して、今だからわかったこと、気付いたこと、そして身の回りに起きた出来事をここだけに綴っていきます。【連載/小竹正人の『泥の舟を漕いできました』】
「極悪女王の笑顔」
私は小学生の頃から女子プロレスが大好きだった。
昔、女子プロレスは毎週テレビ放送され、特に80年代半ばはゴールデン枠で放送されるくらいの人気だった。アメリカに留学する18歳までそれを毎週欠かさず見ていた私は「80年代女子プロレスおたく」だったといっても過言ではない。
だから数年前、「ダンプ松本の半生を描いたドラマをネットフリックスで制作する」と聞き、しかもそのドラマの企画・脚本・プロデュースが、家族ぐるみで仲良しの鈴木おさむさんだと知り、おさむさんにちょいちょい進行状況を探りながらもとにかく首を長くして配信を心待ちにしていた。
そして、ようやく配信されたそのドラマ「極悪女王」を一気見。
セットや小道具や衣装はもちろんのこと、女子プロレスラー役を演じたキャストの皆さんが、当時のプロレスラーの雰囲気を忠実に再現していて、さながら80年代にタイムスリップしたような気持ちで一気見した。
主役のゆりやんレトリバァのヴィジュアルはもう完全にダンプ松本だったし、ライオネス飛鳥役の剛力彩芽の身体能力の高さには驚愕したし、とにもかくにもいろんな場面で「すげえ」と何百回も声を出してしまったほど。いやあ、おもしろかった。ネタバレになるのでこれ以上は割愛。
で、話は再び私が高校生だった80年代にさかのぼる。
当時、セーラーズ(80年代に社会現象にもなったアパレルブランド)でアルバイトしていた私。ショップにはそりゃあもう様々な分野の著名な方々が来た。
そんな中、当時すでに押しも押されもせぬ大人気レスラーだったクラッシュギャルズの2人(ライオネス飛鳥氏と長与千種氏)も何度か来店した。セーラーズに来るどんな著名人の方よりも眩しいオーラを纏い、しかも謙虚で優しくかっこよく、人柄も素晴らしかった。
その縁がきっかけで私は、クラッシュギャルズの試合を何度も後楽園ホールで観戦させてもらった。
ある日、何がどうしてそうなったかおぼえていないのだが、クラッシュギャルズVS極悪同盟(ダンプ松本&ブル中野)の試合前に、セーラーズの社長と共に私はリングに上がり、クラッシュギャルズに花束を贈呈することになった。
そして…いざクラッシュギャルズに花束を渡した直後、リング上で私は…まさかのダンプ松本に(凶器の)竹刀でいきなり叩かれたのである。すぐにはその状況が把握できなかった私は「えっ?」と口を開けたままポカンと立ちすくみ、すぐに長与千種さんに守られながらリングを降りた。その様子がこともあろうかテレビ放送されて、それを見ていた高校のクラスメイトたちに大爆笑され、めちゃくちゃ恥ずかしかった。
そんなこんなで、ダンプ松本をずっと恨んできた私だが、それから何十年もあと、思わぬところでダンプ松本を再び見かけることになる。
2022年、小泉今日子デビュー40周年を記念して開催された全国ツアーの東京公演を大興奮で見ていた私。ふと超満員の客席の中にダンプ松本の姿を発見した。すぐに、あの日竹刀で叩かれたことを思い出し、近くまで行って睨んでやろうかと思ったのも束の間、キョンキョンのライブを見ているダンプ松本の笑顔があまりにもかわいらしく、あまりにも楽しそうだったので、ダンプ松本が大嫌いだったことなど一瞬で忘れ、「天使みたいな顔している」と感動すらしてしまった。
SNSですぐに叩かれたり炎上したりするこの時代、本音をいうことや毒を吐くことがどんどん許されなくなっている。その結果、見渡せば好感度ばかりを気にする偽善者だらけ。取り繕った正論ばかりが溢れて、その正論は、実は全然正しくなんかないと私は多々思う。
「極悪女王」を見て(しかも2回も)、嫌われる覚悟を持つことは、好かれる努力をすることよりずっと勇気がいることだと、つくづく思った。
ダンプ松本って、本物の「プロの勇者」だったのだ。
「極悪女王」、まだ見ていない方は是非。
What I saw~今月のオフショット
「祝・THE RAMPAGE from EXILE TRIBEの2名(+1名)」
小竹正人(おだけまさと)
作詞家。新潟県出身。EXILE、三代目J SOUL BROTHERS from EXILE TRIBE、E-girls、中島美嘉、小泉今日子など、多数のメジャーアーティストに詞を提供している。著書に『空に住む』『三角のオーロラ』(ともに講談社)、『あの日、あの曲、あの人は』(幻冬舎)、『ラウンドトリップ 往復書簡(共著・片寄涼太)』(新潮社)がある。