アーティストそして俳優として、活躍のフィールドを広げ続けている川島如恵留(Travis Japan)の連載『のえるの心にルビをふる』。11月22日に30歳を迎える彼が、今だからわかったこと、気付いたこと、そして様々な出来事についての自らの考察をつづります。【vol.3≪AIと暮らす日がきたら≫】
AIと暮らす日がきたら
Artificial Intelligence、略してAI。現代を生きている我々にとってそんなに遠くない存在となりつつあるAI。人工知能と呼ばれる人工的に作り上げられた知能が様々な機械学習を経て昨今急激に成長しているようだ。
「なんか凄い技術なんでしょう?」という程度の認識の人が私の周りには圧倒的に多い。私もその内のひとりである。ディープラーニングとやらを駆使し、まるで人間のように学び、技術としては最先端と言っても過言ではないような、今かなりホットな話題の中心人物である。
Chat GPTやAI画像生成など、既に生活や仕事、趣味に取り入れて利用している人も多くいるようだ。使いこなせれば便利であり、今後も更に需要が増していく分野だと思う。どのように取り入れれば便利に扱えるかを教えてくれる動画にも沢山の"いいね"がついていて、まだ一度も利用した事の無い私もつられて"いいね"してしまっている程、知っておくと便利な存在なんだろうな、という認識である。
便利そうなのはなんとなくイメージできるのだが、しかし同時に多くの人の頭の中ではAIが我々にどんな良い未来をもたらしてくれるのかという点でハテナマークが浮かんでいる気もする。
単純にプラスアルファとしての技術であって、使っても使わなくても問題無いけれど使えるととっても便利だよ!キラキラ〜!のようなものであれば一日も早くどんどん発達して欲しいのだが、AIの発展によって誰かの仕事が奪われる可能性が示唆されると途端に曇り顔になる。
我々は欲しい物が出来た時、対価を支払ってそれを獲得する。毎日飯盒で米を炊くのは面倒くさいから、利便性を手に入れる為に金銭を対価として炊飯器を購入する。
便利さとは生活を豊かにしてくれるものだ。だからこそ色々な最新家電が日々作られている。あんな機能やこんな機能、痒いところにまで手が届くぞという多機能を売りにした商品で家電量販店は埋め尽くされている。
正直最近はご飯を炊くくらいの機能しか使えていないが、親友夫婦の持っている多機能炊飯器に憧れてお揃いの炊飯器を買って使っている。タイマー機能のおかげで、仕事から帰ってきた時に炊き立てのご飯が食べられるから重宝しているのだが、それだけの機能しか使っていないのなら普通の炊飯器でもいいのだ。それでも折角買い換えるのなら、あんな機能やこんな機能もついていればもっと良いじゃん、と思って安く無いお金を払って購入した。
私はその「山程ある」機能を使える事に価値を見出して高いお金を払って買った筈だ。しかし実際には炊飯機能とタイマー機能しか使っていない。非常に勿体無い。それでもわざわざこれからその機能に特化した炊飯器を新しく買おうとは思わない。素晴らしい技術が詰め込まれていてもそれを使いこなせなければ意味がないと分かっていながらも、どうせ買うなら機能があって損する事はないだろうという欲張り精神の方が勝った。それに加え、一度手にした機能をたとえ使わなかったとしても手放すのは損した気分になるというのもある。
「どうせなら」「折角なら」といった言葉で本質を見ずに思考を停止させて買い物をしてしまっている自分を正当化させる為に、いつか使えたら良い、と言い聞かせている部分がある。
新しい技術が誕生した後、それを浸透させる為には何かと抱き合わせて世に出す事が手っ取り早い。多機能性に人は弱いからだ。AIも最新技術として世に出て来つつあるが、きっとこの先はそれを利用した新装置が発明される前に何かと抱き合わせて我々の生活に浸透し始めるのだろう。現にAI搭載型ロボット掃除機等に代表される学習型の掃除機の導入が多くの家庭で進んでいる。こちらから間取りを教えなくても、家具配置を入力しなくても、自ら学びマッピングをしてデータとして取り込んでくれるのは非常に便利であり、掃除の手間暇にかけていた労力と時間をお金で解決できるようになったと思えば良い買い物になる訳だ。
AIと良い付き合いが出来れば人生にゆとりが出来る…のかもしれないと思える。
ではここでひとつ発想を飛ばそう。
AI搭載型ロボット◯◯とIoT家電では何が違うのだろうか。またIoT家電にAIが搭載されたらどう変化するのだろうか。
IoT家電とは通信技術を搭載した家電の事であり、物と物がインターネットを通じて繋がっている、今でいうところの便利な進んだ家電である。Internet of Thingsを縮めてIoTというのだが、なんだか小難しくてストンと納得しづらいのは私だけだろうか。
音声認識ソフトを搭載したスピーカー単体では、単に音声を認識してくれるだけの音の出る機械であるが、音声を認識した後それを信号に変換する事で何かに指令を送ることはすでに簡単な世の中である。信号を受信さえ出来れば電球のスイッチを押す事の出来る端末と組み合わせれば、音声認識で「電気消して」をスピーカーが変換して信号を送り、スイッチを押してくれる端末が作動して電気を消してくれる。今まではこれらの機械で信号を送受信する為に有線で繋ぐ必要があったが、今はWi-Fi等のネットワークシステムで無線化する事が可能になった。
インターネットで繋がる事によって、言葉一つで機械を動かす事が出来るようになったのだ。これがIoT家電の素晴らしい部分である。実際我が家でも言葉一つで、電気を消したり、お風呂を沸かせたり、テレビを点けたり、エアコンを作動させたりしている。遠征先等ではいつもの癖でスマートスピーカーに話しかけようとしてしまったりする程、日常に染み付いている。
このIoT家電にAIが乗っかったらどうなるのだろうか。
私が寝落ちしたと認識したら勝手に電気を消しておいてくれたり、テレビの前から離れて観ても聴いてもいないないと判断したら勝手に消してくれたりするのだろうか。
こちらが命令していない事を勝手にやり始めたら私は一体どのように感じるのだろうか。
AIがいくら私の生活を支えてくれているからと言って、勝手に部屋中を掃除し出したり服を断捨離されたりしたら、思春期の子どもが親の行動をありがた迷惑と受け取る様に感じるのだろうか。
「これはしないで」と逐一学習させたり「なんでこんな事も分からないの!気が利かないね!」と怒ったりしてしまうのだろうか。
今は未だ自分の家にあるIoT家電は"機械"のままだから、エアコンに「涼しくしてくれてありがとう」や、電気に「明るくしてくれてありがとう」なんて言う機会は無いが、もし仮にAIとしての一つの人格の様なものをそれぞれの機械がもし仮に持つ様になったとしたならば、自分の生活を支えてくれるそれらの家電に感謝するのだろうか。
AIが学習能力を持つAIが人類よりも圧倒的なスピードで莫大なデータ量を処理して購入者である自分の為に身の回りの事を学んでくれていたとしても、それが搭載された機械を購入したのは自分なのだから言うことを聞けと従属させる気持ちが生まれてしまってもおかしくない。そうなると、どれだけ生活を手助けしてもらっていたとしてもそれを当たり前だと感じるようになってしまい、日頃の感謝なども伝なくなってしまう、なんてことも起こり得るのではないだろうか。
ここからは私の個人的なAIに関する見解だ。そんな意見もあるのか、と思って読んでいただきたい。
近い将来、AIが人格を持つようになったとしたならばてば人間と同じような尊厳を得るものになってもおかしくないと私は思っている。前述の通りAIは学び続ける存在である。単純作業をただ繰り返すだけの機械ではなく、人間のように何かを学び未来の行動に繋げる事が出来る、とされている。
人間が人間としての尊厳を持つ事が出来ているのは時代や情勢のおかげもあると思うが、歴史から学んできたから、というのが最も大きな理由であると私は考えている。今も世界のどこかではそれが当たり前では無い地域もあるが、我々が住んでいるこの国では憲法第十三条に個人の尊厳が記されており、一人ひとりの個人がかけがえの無い存在である事が保証されている。
様々な歴史から学び、その重要性を理解したからこそ尊厳が確約されているのだ。その理論を超展開すると、現実世界での出来事を学習し、その過去をもって未来の為により良い行動を選ぼうとする行為は人類のしてきたそれに似ている。
AIには生命活動や生殖活動は無いのだからそこに尊厳など無い、と一蹴されたとするならば、既に他界された人間や生殖能力を持たない人間には尊厳が無いのかと痛烈な批判が寄せられるだろう。
家族としてペットを迎え入れた事のある人にはより理解しやすいと思うが、人間ではない存在にもとても大切な尊厳が存在する。命ある動物に限った話ではない。幼き頃に抱いていた人形が目の前で引き裂かれたとしたら多くの人は悲しみのどん底に突き落とされるような胸の痛みを感じられると思う。大切な存在に価値を与えるのは人間の独特の感性なのかもしれないが、環境ひとつで与えられた価値だけではなく、そのもの自身に価値が生み出される事だってあるのだ。
尊厳とは人間にしか持ち合わせていないものでは無いという事は理解に難く無いと思いたい。
いつの日か様々な機械にAIが搭載される日が来るだろう。あれにもこれにも学習能力が備わり、我々の住む家には自分以外にも知能を持つ個体で満ち溢れる日が来ると思う。そんな日には、我々は自分の脳だけで考える必要が無くなり、相談相手が出来たり悩みを打ち明けられる存在がより身近に出来るかもしれない。
いつも相談に乗ってくれていた「学習を続けてきたスピーカー」や、自分の体を思って断熱機能を調整してくれていた「学び続ける壁」がもし誰かの手によって壊されたら。一体貴方はどんな思いになるのだろうか。引越しも簡単では無くなるかもしれない。断捨離も難しくなるかもしれない。こんなにも沢山の思い出が、それも自分の中だけでなく家具家電の中にも学習された思い出が大量にある世の中になったら、どんな顔をして手放す事が出来るのだろう。
もしAI搭載型の家電に相談を持ちかけられたらどうするだろうか。悩みを打ち明けられたらどうするだろうか。
飛躍させ過ぎなのは分かっているが、そんな未来が無いとも限らない。人が宇宙に行くことはかつてファンタジーに分類されていたが、宇宙旅行すら徐々に身近な存在に変化しつつあるのだ。
ベッドルームの電球が「眠そうだね。そろそろ消そうか?」と空気を読んで聞いてくる日が来るかもしれない。仕事が残っているのにテレビを観てぐーたらしていたら「まだやるべき事があるんじゃないの?一旦消すね?」と勝手に切られる日が来るかもしれない。
AI搭載型家電が当たり前になった世の中では、自分一人で自由に生きる為にはAI非搭載の家電をどうにか見つけて選ばなくてはならない、なんて事すら有り得るのだ。余計な思い出を作らない為にも、出逢いを最小限にしようとする人だって現れるかもしれない。
「貴方とずっと一緒にいた自分を捨てないで…」と呟かれたらどうするだろう。
今の世の中では、生活にIoT家電を導入するととても便利になるといった印象があるが、AIがどんどん発展していって上記の様な未来が訪れたとしたらそれは本当に「便利」なだけの世の中なのだろうか。
人は利便性に惹かれる。生活を楽にしてくれるととても助かる。良い事だと思う。しかしそれによって、新しい物を追い求めすぎるがあまり、物を大切にする事を忘れやすくなっているとも言えるのではないだろうか。機械に命令して自分が偉くなったと勘違いしていたら、いつの間にか感謝を忘れる人になってしまうかもしれない。機械に命令されたら少しは嫌な気持ちになりはしないだろうか。きっと機械もずっと命令されているだけでは寂しいのかもしれない。多機能を求めるがあまり、大切な何かを失ってしまっては本末転倒である。
いつかAIが尊厳を持つ様な世界にこの世の中が変わった時、自分の家の中でまで機械とマウントを取り合うようなことをしなくて済むように、互いを尊重し合える人間でありたいと私は思う。
AIに喜んで一緒に住んでもらえる様な、あわよくば敬ってもらえる様な澄んだ柔軟性のある人間性を目指したいものだ。
【今月のTouch the Heartstrings】
川島如恵留(かわしま・のえる)
1994年11月22日東京都出身。小学生1年からジャズダンスを始めた後、芸能活動をスタートし子役としても舞台にも出演。その後、2007年10月よりアイドル活動を開始。2012年7月にTravis Japanの結成メンバーに。2022年10月に全世界メジャーデビュー。2017年青山学院大学卒業。2019年に宅地建物取引士、2023年には国内旅行業務取扱管理者の資格を取得。2024年4月から個人のYouTubeチャンネル「のえるの隙間時間」、同名のXも開設。
YouTube @noelnosukimajikan