スタイリスト青木貴子さんによる、素敵な人に一歩近づく生き方指南。こんな時代だからこそ、前を向いて歩いていくためのヒントをお届けします。
いま、深刻に進んでいるモラルの低下
先日タクシーに乗っていたら年配のドライバーの方がおもむろに「最近の東京は田舎もんが増えたなぁ」と呟いた。「昔はちゃんと譲り合ったり、常識のある運転をする都会的なもんが多かったけど最近じゃさっぱりだ。道が空いているからすっ飛ばせる田舎道を我先に走ってるようなもんばっかになっちまった」。ドライバーの質が著しく低下していることを憂いての発言だったのです。
東京のひとだから都会的とか、地方のひとだから田舎的とかそういう意味ではなく、彼の言うところの「都会的」は「秩序を守ってスマートな行動をとる」ということで、「田舎的」というのは「無秩序に自我が強い行動をとる」という例えだとわかりました。例えに用いる形容詞はひとによって様々だからそこはさておき、このドライバーの方の発言をきっかけにマナーの劣化は運転に限ったことではないな、と思いました。
昨今、え?!と驚くような凶悪事件が、そこかしこの日常で起こっているという報道が連日されています。何か大きくひとの心のありようが変化していっている気がします。先ほどの交通秩序の乱れも同じですが、やっていいことと悪いことの判断を決める観念を持つことがとても大切で、その観念を留めておく心のネジが緩くなっちゃってるのでしょうか。凶悪な犯罪ではないものの、混んでいる道をぶつかりながら突き進む人や、禁止場所での喫煙や通話、困っているひとに目もくれないで知らん顔をするなど、そういったモラルの低下が進んでいるように思います。
情緒の中心は「愛」と「慈悲心」
世相も治安も悪くなってきたし、「ちょっと変だよ、最近の日本」とささやかれていますが、何が欠落してしまったのだろう?とぼんやりと考えていた時に岡潔さんの『情緒と日本人』という本に出会いました。
岡潔さんは日本が誇る世界的に高名な数学者でありながら、随筆家としても高く評価を受け活躍されていた方です(1978年没)。その岡さんの著書に「情緒の調和がそこなわれると人の心は腐敗する」という記述がありました。「情緒」は「知」と「情」と「意志」と「感覚」が混ざり合って出来上がっているもので、「人の心は情緒である」「人はその情緒を形に現わして生きている」と説いています。そして「その人の過去の全てが情緒を形作っている」とも。
つまり生き様そのものが情緒の奥深さに関わってくるということなのだと思うのですが、最近、ひとの行動が乱雑になってきている背景には、この情緒の質が著しく低下してきていることが起因しているのかもしれません。
岡さんはその情緒の中心をまとめているのは「愛」と「慈悲心」、人して大切なのは「他人の悲しみがわかること」であるとも伝えています。インターネットの普及で「個」の時間が確実に増え、コロナの影響で他人との関わりも以前より希薄になったり、そういったことで「愛」や「慈悲心」が育ちにくくなってきているとしたら、気がつかないうちに情緒が減ってしまっているとしたら、これは大問題です。
人間関係を円滑に、そして心を瑞々しく保つ秘訣は?
情緒は心を豊かにし、喜びを感じやすくするエッセンス。心の潤いを欠いて美しくあることはできません(肌の調子と一緒で、心のカサカサも絶対表面に出ますから)。短絡的思考や衝動的行動は心地よさを生みませんものね。多くの人が小さい時に「他人からされて嫌なことはしないように」という教えを受けたのではないでしょうか? その思いやる心が生きていれば、軋轢も減るのではないかとあらためて感じました。
またこの本の中に羞恥心と思いやる心についての素敵な記述がありました。恥ずかしいというのは「心の闇を照らす大日輪、日光」であり、思いやりは「内面をやさしく照らす慈悲心」この二つが内心を美しくするというのです。こういった気持ちを忘れない、心の余裕をたしなみとして常に持っていられたら素敵ですよね。
「恥ずかしくなくなったら終わり」という言葉がありますが、羞恥心は人道を外れないための大きなスケールになります。大事にしたい物差しではないでしょうか。
この書は教育について触れている項も素晴らしく、子育てに悩んだり、指針を求めているひとには参考になる金言が見つけられると思います。岡潔さんが書かれた言葉の数々は、心に響く想いばかりです。
情緒豊かであることが日本人の美徳とされてきた。それが崩壊しつつある今、情緒についてしっかりと考える機会を一人でも多くのひとが持てたら、またきっと情緒豊かな心地よい世の中に変わっていくのではないでしょうか? 一人一人が心がけをしていれば大きなうねりになります。光り輝く美しいうねりになることを心から願いたいと思います。