スタイリスト青木貴子さんによる、素敵な人に一歩近づく生き方指南。こんな時代だからこそ、前を向いて歩いていくためのヒントをお届けします。
「洗練されたひと」と聞くと「素敵なひと」って思いますよね。“洗練”は素敵なひとの条件のひとつのような気がします。とあればその“洗練”とやら、ぜひとも身につけたいですよね? さてイメージでは分かっていても洗練って一体どんなコトなのでしょう。今回は洗練について具体的に考えてみたいと思います。
“素敵なシンプル”にたどり着く「洗って練る」
洗練を辞書で調べると〈詩歌・文章の表現を推敲してより良いものにすること。人柄や趣味などを優雅、高尚なものにすること。あか抜けした、磨きのかかったものにすること。〉などと書かれています。もともとは〈ものを洗い、またはよく練って良くする〉ということからできた言葉のようです。
洗練と聞くと、シンプルでスマートだったり、削ぎ落とされた美しさのようなものを想像すると思いますが、やっぱりそれは語源から派生してできていったイメージなんですね。練りに練ると研ぎ澄まされた良いものができますものね。なるほど、言葉って面白いですね。
洗練までの近道ってあるの?
洗練されたおしゃれ、洗練された言葉――“洗練された”という形容詞がつくと、俄然“素敵で素晴らしい”という冠がついたもののように思えます。
“洗練された”と言われる境地に至るまでには、ある意味、百戦錬磨的な段階が必要です。たとえば洗練されたおしゃれを体現できるようになるには、いろいろな服に挑戦して、ときに失敗して自分に似合うものを知ることが不可欠です。そのあとに初めてコーディネートが上手になります。
洗練された言葉使いも、まずはたくさんの知識や豊富なボキャブラリーを持つことが不可欠です。そのなかから最適な言葉を汲み上げることができるようになって、初めて巧みに使いこなせるようになります。
つまり洗練はたくさんの要素を積み重ねたものを、吟味したり熟考したりして、初めて辿り着く地点にあるものといえます。一朝一夕では得ることができないものなのです。だからこそ意味や価値が深まるのですね。残念ながら洗練までの近道はなし(笑)!
洗練は想像力と密接である!
洗練に辿り着く前の段階までの知識やものを膨大に収集、身につけたとしましょう。そのある意味玉石混交な状態から洗練に行き着くにはどうしたら良いのかってことですが、この取捨選択や推敲に必要な感性はズバリ“想像力”だと思います。
たとえば洗練された立ち居振る舞いを身につけたいと思ったら、「優雅に見えるとはどんなことだろう?」と自分の思う優雅な振る舞いを徹底的に想像してみるのです。こういう動きは優雅に見えるだろうな(こんな動きをしてたひとが優雅に見えた、という記憶をたどっても良いでしょう)、こういうのは優雅に見えないな、とか。思いつくかぎりの優雅な立ち振る舞いについて想像するのです。
そうすると優雅に見せる見せ方の方法論がわかってきます。
しっかりと身についたのもだからこそ魅力となりうる
「洗練されたひと」になりたいと思うことはとっても素敵だし、そうありたいと意識することは洗練に近づくうえでとってもとっても重要です。でも“洗練されているという印象”を持たれるかどうかは話が別。それは自分が決めるのではなく、相手が決めることだからです。
ここでも想像力が大切になってきます。今度は相手を見据えた想像です。この場において相手を楽しませたり和ませたりする最適な言葉はなんだろう?とか、その場においてスマートに見える服装はどんなかな?とか相手やシチュエーションありきの想像力を働かせることがあなたの洗練度アップにつながってきます。
でも話したりしているときに「どんな言葉が最適か?」なんて考えていたら会話のテンポについていけなくなるかもしれませんよね。瞬間的に洗練された会話ができるようになるには場数を踏むこと。慣れてきたら気の利いた返答が素早くできるようになります。洗練を身につけるには鍛錬するしかありません(笑)。
意識していれば毎日が場数のひとつになります。こことても重要なポイントです。洗練を身につけるのに、特別で特殊なことなど実は一切必要ではないのです。素敵だなって思うことや考え方を意識し続ける、想像し続けるだけで自然と身についていきます。ぼーっと無意識で生きていると場数は増えず、残念ながらいつまで経っても野暮なまま。身についた付け焼き刃(その場しのぎ)ではないものだからこそ洗練は素敵で魅力的に見えるのです。
想像力は色々な感性を育てるおっきなエネルギーです。想像力を働かせて、優雅で高尚な洗練されたひとを目指してみませんか? 感性豊かになって洗練度が上がったら見える景色もきっと違ってくるはず!