ゆるりとした文体なのに、ドキッと鋭い指摘があると人気を集めている壇蜜さんのGINGERの連載エッセイ。独自の視点と言葉選びに多くの人が共感していて、毎号、話題に。そんな壇蜜さんが、今の世情とともに考える気遣い、気配りとは? コロナ禍だからこそ見えてくる真実がそこにはあると言います。
あなたの「寂しい」「不安」の感情、他者に押し付けていませんか?
「気遣い」と「気配り」、似たようなシチュエーションで使われることが多いが、微妙に意味が異なる言葉だ。
辞書で調べてみると、「気遣い」は相手に失礼がないように心掛けること、を主に指している。「気配り」は相手が求めていることを予測して先手で気をつけることを意味するのだという。ただ、共通の意味としては、他者の「居心地を悪くさせない」ということがベースになっている。
しかし、この本来の意味が忘れられ、気遣い、気配りされているのにもかかわらず「なんだか居心地が悪い」「逆にモヤモヤしてしまった」という声も多い。特に、コロナ禍ではSNSなどのオンラインで気疲れしている人が増えているという。
「ちょっとわかる気がします。私自身は、ずっとSNSを開いているわけでもないですし、オンラインにアクセスし続けているわけでもないので、そういう感覚はないですが、コロナ禍で人との距離感に歪みが生じてしまった。会社の同僚とも知り合いとも直接会っていたときよりも、距離は遠くてもオンラインで接することが増えている人は多いのかもしれませんね」と言うのは、本誌のエッセイも人気でマルチな才能を発揮するタレントの壇蜜さんだ。
確かに周囲からも、以前より今のほうが、オンライン会議、オンライン飲み会とやたらオンライン上での集いが増えているという話も聞く。コロナ禍で寂しくないか、孤独ではないのかという会社や上司、仲間たちからの配慮なのかもしれないが、そこに今息苦しさを感じる人も増えてきているのだ。
「私自身は一時、出演数が減ったことはありましたけど、生活自体は何も変わりませんでした。サウナとプールに行けなかったことぐらいで、1人でいることも苦にならないし、いつもそうやって家にいる猫やトカゲや蛇や鳥などを愛でているだけで幸せなので、コロナで何が変わったかというと何も変わりません、というのが正直なところです。でも、それは私が、こういった仕事をして”事務所”という存在に守られているから、単独の惑星のように好きな回転数でいつもと同じように振る舞えるのだと思います。ネットなどの書き込みなどからもとりあえずは守ってもらえる。
でも、個人となるとなかなか単独の惑星として動くのは難しいですよね。特に未曾有の事態という、経験をしたことがない状況で、いつもと違う距離感や価値観になってしまう。ネットで知らぬ間に同調圧力を求められるなんてことも少なくないはずです」と壇蜜さんは言う。
一見、気遣い、気配りの言葉のように見える「あなたのためを思って」「あなたが心配で」「あなたもそう思うでしょ」が同調圧力になっていることもあるのだ。
ひとりの時間が増えたからこそ見えてきた「本当に大事」な人や時間や自分の思い
「今のような状況下では、気遣いや気配りがある言葉を自分自身がかけることもあるだろうし、受け取ることも多いと思います。でも、それをすべて気に留める必要はないと思うのです」と壇蜜さんは言う。
逆に、コロナ禍だからこそ、自分にとって大切にしていきたいもの、削ってもいいものがハッキリしてくるという。
「人生のなかで、本当に大切な関係の人はそんなに多くないと思うんですね。私は確かに友人が多いほうではありませんし、自ら進んで人とのつながりを求めていくというタイプでもありません。でも、本当に大事な関係というのは、実はなかなかない。人とのつながりは多いほどいい、と美談で語られがちですが、でも、多ければ多いほどそこに好奇心や噂、詮索といった視点も生まれてきます。それに、人の関係には気遣いや気配りも生じます。それほどでもない人に、気遣い、気配りをするのは疲れますし、される側もその気持ちに恐縮してしまうものです」
確かに・・・。人間関係は大事だが、あまりに両手を広げすぎてしまうと、互いには疲労感しか生まれないこともある・・・。
「コロナは早く終息してほしいですが、でも、コロナになって気付いたことも多いと思うんですね。私は、改めて1人でいることが苦にならない人間なのだと思いました。家にいる生き物たちとの時間を過ごせる幸せを、しばし噛み締めました。
きっと私以外にも、『つらい』『不安』『寂しい』という感情だけでなく、『ひとりで仕事しやすい』とか『今まで人と合わせて生活していたんだな』とか『好きなときに喫煙できて幸せ』とか、いろんな思いがあると思うんですね」
もしかしたら今まで私たちは、無理をして人間関係を広げすぎていたのかもしれない・・・。でもだからこそ、今はチャンスだと壇蜜さんは言う。
「自分にとっては過剰だったり、実はそんなに必要がなかったという人間関係から少し距離を置くのに最適な時期だと思うんです。マスクもあるし、三密を盾に会うことも避けることができるのですから。距離を置く環境を作りやすいはずですよ」
互いにとって無理がない、それぞれの心地よさを理解し、距離を保つ、これこそが究極の気遣いであり、気配りなのかもしれない。