“大人のフリ”して放置(我慢したり、見て見ぬふりしたり)せず、煩わしい人間関係をぶった斬り、好きな人たちとだけ生きていく——。そんな“自分基準”を掲げて、人生を楽しく、生きやすくしていきませんか? 脚本家 岸本鮎佳さんの連載「私、幸せになるんで。はい、サヨウナラ」。あなたの人間関係やモノ付き合いの整理整頓&取捨選択に際し、ぜひご参考に!
vol.12「また友達が減った」
大人になってからの女の友情は非常に繊細でもあり、シンプルだ。
というのが、最近の結論だ。
最近仲の良い友達と「女の友情とは?」について、語り合うことが多い。
学生時代の友人はほぼ全員結婚したし、東京育ちで私立に通っていたので、地元に友人もいない。
もし、自分が結婚すると想像したときに披露宴に呼べる長い付き合いの友人はいないかもしれないということに気付いたとき、「あれ。私性格悪いのかな?」と思い悩んだ時期もあった。
でもそれは、30代になって、自分の仕事や生活環境が変わっていくことで、自然と離れていくものもあったりして、特に喧嘩したでもなく疎遠になっているのだということに気付いたのだ。
では、本当の友達とは、一体どういう存在なのか?
「付き合いが長い幼馴染」
「同じ学校で6年間同じグループだった」
「辛い部活をともに乗り越えた」
「大事な節目を一緒に迎えた」
「毎年一緒に誕生日を祝っている」
・・・いや、違う。
むしろ、こういう背景が存在すればするほど、「私たち、友達だよね?」という呪縛に囚われてしまうと私は思う。
たとえ付き合いが長くても、お互いの誕生日を覚えていても、当たり前に親身になってくれる訳ではない。
コロナ禍において、なかなか人に会えない状態が続いたとき、私はそれまでコンスタントに連絡を取っていた何人かの友達と、一切連絡を取らなくなった。
特に理由はない。
ただ、次にいつ会えるか分からない今、わざわざ連絡を取りたいと思わなくなったし、向こうも連絡をよこさなかった。だから、疎遠になった。
そしてその後、とんでも無く落ち込んだとき、答えが出た。
弱音を吐くように、ある友達に短いメッセージを送った。
すると、その子は「あなたは、強いから大丈夫だよ! しっかりして!」と短いメッセージが返ってきた。
間違ってない。
彼女なりの励ましだと思う。
でも、今私が求めてるのは、そんなクールな言葉じゃなかった。
私は、たまらなくなって、ある友達に電話ですべてを話した。
自分が思い悩んでること、辛いこと。
彼女は私の話をすべて聞いた後、
「辛かったね。よく頑張ったね! 悩んでることに、気付いてあげられなくて、ごめんね」
私が一番求めている最高の言葉だった。
友達の価値観は人それぞれだが、私は一つ基準を置くとしたら、
「自分に何かあったとき、駆けつけてくれるか」。
「付き合っていく」というのは、男女関係なく面倒くさいこと。
きっと自分の彼氏だったり、旦那に置き換えればわかりやすい。
何かあったときに駆けつけてくれる彼氏であって欲しいと思うはず。
それは、男女関係に限らず友人であっても私は、そういう存在であってほしいし、当然自分もそうありたいと思う。
この人には、尽くしたい。と何の忖度もなく自然と思える存在。
ちょっと重いが、それぐらいの相手でなければ、「友達」じゃなくていい。
友達というのは、ブランドのバッグのように誰に見せびらかすものでもない。
私は女の友情に、クールはいらない。
自分なりの友達の絶対条件を見つけて、それに当てはまらなければ、疎遠になっても落ち込まなくていいのだ。
私自身が熱い女であるために・・・。
嫌いになった訳じゃないから、ちょっとだけサヨウナラ。
女友達さん。
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