日ごろから“言葉”についてあれこれと思いを巡らせている壇蜜さんの連載『今更言葉で、イマをサラッと』第30回目。言葉選びと言葉遣いが、深く、楽しくなる。そして役に立つお話。どうぞお楽しみください!
その30『ごもっとも』
世間は・・・いや、世界は疫病の脅威にさらされ、何かとギスギスした生活が続いているような気がする。自粛、閉鎖、無期延期などの言葉が重くのし掛かり、楽しみもあったもんじゃない・・・と愚痴を言い合う。言い合えるだけ良いのかもしれない。しかし、愚痴も度を超えると自分自身を辟易させるし、聞かされる相手もしんどい。
先日、知人女性(私より少し若い)が「日々しんどい。ネットの意見でも文句しかない。タレントが家にいようとか言う動画を見ても元気なんか出ない。持ってるお金が違うもの」とこぼした。さらに彼女は続ける。「今元気になるには現金しかないってネットにもあった。私もそう思う」と。いち国民の正直な、切実な意見を聞いたような気持ちになった。私は思わず、「ごもっとも!! ごもっともだよ!!」と大きめの声で反応した。彼女は私のテンションにおかしみを感じたようで「なにそれ」と呆れたように笑っていたが、ごもっとも、の力はこういう時に発揮する。
彼女から正直な気持ちを吐露されたとき、ささくれた気持ちを立て直してあげたい、どうにか慰めてあげたい・・・そんな気持ちは今はいらないと感じた。「そうはいっても皆頑張っているのだから」「感謝を伝えようよ」「ネットなんか見ちゃダメ」・・・というような言葉をかけてもささくれに塩を塗るようなものなのかもしれない。
だからこそ「ごもっとも」が彼女を少しでもスッキリさせる一言だと考えた。相手の言い分が道理であることを丁寧に、手短に伝える「ごもっとも」は、大きめの声で(失礼にならない範囲で)相手に近づいて言うのがいい。場合によっては肩や手を掴んで、「ごもっとも」と力強く言うのもいい。すべて肯定するよ、の姿勢で愚痴る湿っぽさをカラッカラに乾燥させてあげたい。間髪を容れずに菓子を出したり、場違いな歌を歌ってあげたり、肩をもんであげたり・・・と、愚痴る気持ちをミイラにしたら、きっと諦めたように相手は笑うだろう。私は彼女にごもっともだよーと言いながら手を握った。同性なのでセクハラではない、と思う。