日ごろから“言葉”についてあれこれと思いを巡らせている壇蜜さんの連載『今更言葉で、イマをサラッと』第7回目。言葉選びと言葉遣いが、深く、楽しくなる。そして役に立つお話。どうぞお楽しみください!
その7『どうも』
「どうも」。秋田に住む祖母や親戚の人々が会話を締め括りさよならをする際、最後にこの言葉を言い合ってお別れすることが多い。ご近所さん同士のさよなら代わりに、お店で品物を購入して去り際に、電話でも「じゃあまたね」の代わりをする。言い方は「どうもぉー」「どーもー」という軽快で明るいムードをまといつつ。私もコンビニやスーパーで買い物をして、ありがとうございましたと言われると「どうも」と会釈しながら答えることが多い。自分もまた「ありがとうございました」で返したり、ただ会釈するよりは良き距離感を醸し出せていいかなと思っていた。
しかし、「どうも」を単体で挨拶の代わりに使うのは失礼だという風潮もある。そもそも「どうも」は江戸時代の「どうも言えぬ」という言葉が語源だという。あれこれ考えてもはっきり浮かばず、モヤモヤと分からない状態が「どうも言えぬ」の意味のようだ。どうも言えぬ景色・・・と言われれば、言葉にできないほどきれいだったり荘厳だったりする景色が思い浮かぶ。一方で、なかなか表現のしかたに困る光景・・・という意味も感じられる。例えば同じ「どうも言えぬ景色」でも「明け方、雲間から無数の光の筋が差し込み、どうも言えぬ景色だった」と「皆がバニーガールやメイドの衣装に身を包み踊る様子は、どうも言えぬ景色だった」では「どうも~」の意味が違って見えるだろう。後者の方が何となく面食らっている。どんな状況だ。
どうも、には「どうも」プラス何かの言葉を付け足してはじめて言葉になるという考え方が現在の主流のようだ。地域差はあるようだが、少なくとも日頃何かを言うとき、「どうも」オンリーは避ける方が無難というのが結論である。どうもありがとう、どうもお世話になりました、どうも失礼しました・・・何となく長いが、これが失礼の無い使い方のようだ。「どうも」プラス会釈が正式でないとすれば、買い物後の挨拶はどうすればいいだろう。ひとまず、いただいていきます、にして様子を見るとしよう。