本当は興味津々なのに、決して踏み出せない――芸人 紺野ぶるまさんの自分観察。【連載「奥歯に女が詰まってる」】
年をとることが嬉しい女
高校生の頃、自分は人生のピークにいると思っていた。今が女として最高に輝く時期だと設定していたのだ。
コギャル、スーパーJK、それらのブームを小学生のときに見ていたからだろうか。
とにかく「17歳」は最強。制服のスカートを極力短くして渋谷を我が物顔で歩き、通り過ぎる大人は消化試合の真っ只中、みんな私たちが羨ましくて仕方ないのだろうと信じて疑わなかった。
ここが世界の中心で、年齢を重ねる毎にそこから少しずつずれていく。20歳になったらもうおばさんで、30歳になるなんてもはや「悪」。その暁には誰にも姿を見られないようひっそりと山に隠れて暮らしたい。
と思い、気付けば齢にして現在37歳。東京で生きている。すぐに気付いた。山で隠れるのはお金がかかる。
それに20歳はなってみると全然おばさんじゃなかったし、20代は思ってたより肌に艶があった。そして当たり前だが、急に30歳になるわけではなく、21、22、23、24と猶予があり、過ごしているうちに30歳になる準備ができているものだった。
しかしそこから若さに対する執着がなくなるわけではなく、若い人に勝てるはずないと少し投げやりになったように思う。例えいまどんなに若く見えたって年齢を言ったら終わりじゃないか、と。私の「17歳最強」の概念は毎日を苦しくするだけなのになかなか拭えない。
伝家の宝刀「私おばさんだから」と先に自虐をして「ちゃんと諦めてます」アピールに忙しかった。やればやるほど自分の弱さを露呈しているようなものなのに。
素敵な女性に会っても「30代? じゃあおばさんじゃん」。そうやって自我を保ってきた20代のツケが一気に来た。20代の女の子を目の前にすると「所詮おばでしょ」と思われてる気がしてならない。
私はヘアやメイクや身につけるものを少し派手にして「ポップさで老いを散らす」作戦に出た。
これは気分も上がるしなかなか楽しかったのだが、すっぴんのときが地獄である。ブリーチした髪は17歳のときのようにちょっとトリートメントをしたくらいでは生き返らない。特に寝起きはチリ散らかして毛量も減り、なんか硬い。韓国ドラマに出てくる子供の足を引っ張るタイプのオモニ感が否めない。
見ないふりして日中をやり過ごしても、必ず朝には堕落オモニと顔を合わせることになる。男だったら20代や30代で自分のことを「おじさん」なんて、あまり思わないのだろう。
「ああ、おばさんに対しておじさんの人口少なくない? いいなあ男は…」
なんていよいよはけ口を間違えてた折、地元の友達とお互いの子供を連れて遊びにいく機会があった。
久しぶりに会う彼女は二人の息子の子育てに奮闘している様子で、その合間に仕事もしてと忙しそうだった。
「白髪染め、いけてないや」と黒髪をキュッと一本に結ぶと大きな瞳が際立たった。接客業をしている彼女は背筋がピンとしていて竹刀が似合いそうだった。ダウンの下はジャストサイズのジップのついた黒いフリースに、細身のスラックスをさらりと合わせている。このラフだけどどこか流儀を感じる雰囲気、既視感があると思ったら、小学校のときの図工の先生だと紐づいた。
先生の冬の授業スタイルによく似ている。そこに肩にかけていたハサミなどを入れる革のポシェットがなんとも印象的でよく覚えている。
いつ見てもまるで新品のようにツヤがあってなんだか瑞々しかった。
「先生、ポシェットツルツルだね」というと「もう十年以上使っているのよ」と自慢げに教えてくれた。
「毎日少しだけクリームをつけて磨くと傷やシミも馴染んで、最初よりずっといい色になるの」とコッペパンのような形をしたポシェットを手に持つと、先生もポシェットもいつもよりかっこよくみえた。
同級生の彼女はきっとそういう時間の使い方を知っているのだと思った。メイクをほとんどしていないのに、目力があってその自信こそが美しさだと見惚れてしまった。
「もしかして、人生ってここからが楽しいのでは…?」
いい人生プランを提示された気がして、影響されやすいわたしはその数日後ブリーチ毛を一気に暗いトーンに染め直した。
いざ、ライヴにいっても驚くほど誰にも気付かれない。
「そうそう、ここからはね…髪型とかそういうんじゃないところでやっていくやつだから…」
と自分の中で面白くなってることが心地よかった。
年齢に縛られない生き方とかけまして
親戚が増えて嬉しいと解きます。
その心はどちらも
老いを(甥を)快く受けいれるでしょう。
今日も女たちに幸せが訪れますように。