通勤電車で、ベッドで眠りにつくまで、週末に――味わいながら読みたいおすすめの書籍をライター 温水ゆかりさんがご紹介。
圧倒的な身体描写と思考の練度。自分の似姿を描いた驚異の新人
ハンチバックの意味も知らずに読み始める。冒頭は劣情を刺激するエロ描写で、すぐ語り手の「私」(井沢釈華)が書いたコタツ記事だと知れる(ハンチバックの意味もすぐに教えられるが、差別的な禁止用語なのでここでは書かない)。
さまざまな医療器具に頼る「私」は両親の遺したグループホームで暮らす重度障害者。個室から通信大学を受講し、コタツ記事を書き、官能ライトノベルで印税を稼ぐ。ギャラはすべて寄付する。
読みながら「私」の生活と意見に何度も失神級のパンチをくらう。読書はS字になった背骨に最も負荷がかかる。電子より紙がいいと呑気にほざく読書人がいるこの国の出版文化は健常者優位主義(マチズモ)だとか、自分は億単位の親の遺産に護られ世間との摩擦を知らない、だから“摩擦で稼ぐ娼婦になってみたい”とか。彼女の夢は妊娠と中絶をしてみること。自分の身体では胎児は育たない。せめて「堕ろすところまでは追い付きたかった」。
SNS上の「紗花」が井沢釈華であると見抜いて精読している男性介護士の田中が、湿った会話を仕掛けてくる。「セラピスト(女性用風俗の施術師)ってどうでしたか」。釈華とインセルっぽい田中のヒリヒリした関係にまた打ちのめされる。軌道圏外に放り出されるようなラストの捻りを、あなたはどう解釈するだろうか?
強度ある言葉に仕込んだユーモアの毒針で、全選考委員を驚愕させた文學界新人賞作。探偵沢崎(これを書いている途中に作者原尞氏の訃報が)や、米津知子(昨年荒井裕樹氏が上梓した米津の評伝『凛として灯る』はよかった)への言及、グループホーム名「イングルサイド」の由来など、私は凄く細かいところで著者と会話できた気になっている。誤解かもしれないが。
火ではなく熱で焼く窯ピッツァ。その秘技に挑む群像ノンフィクション
著者は2011年、吉祥寺の「ピッツェリアGG」で食べたマリナーラに衝撃を受ける。この上なくシンプル、それでいて“勢い”がある。これが(当時)25歳のピッツァ職人中村拓巳氏との出会い。聞けば中村氏は18歳で単身ナポリに修業に出かけたという。90年代に始まったイタメシブーム、’95年のナポリピッツァ元年、00年代のナポリで切磋琢磨した日本人青年達の青春群像。近年はナポリで新技法のピッツァもブーム。中村氏の新たな“成果”が待ち遠しい。
弁護士資格を持つ元アナの著者。自分を削ってでも得たかったもの
週刊誌が報じた不倫同棲で降板した元女性アナ。三浦瑠麗氏がそこにツイッターで疑義を呈す。離婚訴訟中だから不倫ではない、彼女は番組に復帰すべきと。さてここで問題。離婚係争中を暴露された夫の側は納得できる? その夫が著者の西脇氏。プライバシー侵害で三浦氏を訴え、最高裁まで争い勝訴した。大きな主語(表現の自由とか)の三浦氏、個の尊厳を訴えた小さな主語の西脇氏。小さき者の痛みが分かる西脇弁護士の未来を祝福したい。