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LIVING趣味

2019.06.21

去られる痛み、去る痛み。文芸ミステリー『国語教師』

本好きライター 温水ゆかりさんがおすすめの1冊を紹介する連載「週末読書のすすめ」。紙に触れてよろこぶ指先、活字を目で追う楽しさ、心と脳をつかって味わう本の世界へ、今週末は旅してみませんか。

『国語教師』ユーディト・W・タシュラー 著

 『国語教師』ユーディト・W・タシュラー 著、 浅井昌子 訳

ひと粒ずつが実り豊かなクラスター小説

なんと険悪な再会小説!
劇的なアッパーカットで決着がつく話ではなく、小刻みなジャブの応酬がじわじわ効いてくる恋愛ボクシングだ。ちょっと日本では成立しないと思う。人間の気質的にも体力的にも。だからこそ吸い込まれる。これぞ翻訳小説の醍醐味だ、と

まずは、エピローグから。ちょっと長めに書きます。起点としてもすごく大事だし、読み終わったあと、絶対もう一度読みたくなるはずなので。

スイス・ティロル州のお役所「教育省文化サーヴィス局」から、メルアドMKこと、カミンスキ先生あてにこんなメールがいく。
作家が希望する生徒達に、創作の技術とコツを講義するシリーズ企画「生徒と作家の出会い」。今年も15人の作家が参加を承諾してくれて、無事開催の運びになったこと。
作家と学校の組み合わせはくじ引きで決めること。
ついては、貴校を引き当てた作家から直接そちらに連絡があること。

続いてこの「教育省文化サーヴィス局」は、作家のクサヴァー・ザントに「聖ウルスラ女子ギムナジウム」の担当国語教諭に連絡をとるよう促すメールを送る。教諭のメルアドだけを記して。

これがきっかけ。
しかし、学園にメールを送ったクサヴァーのイライラは募る。早くスケジュールを決めたいのに、返信が来ない。時期は、クリスマスの後から新年をまたぐ1月初旬。作家に、学校は休みだという常識は通じない。ご立腹である。

が、ようやく来た1月7日の返信に、クサヴァーは飛び上がる。
これまでM・K先生としてしか知らなかった担当者が、事務的な返信の末尾に「マティルダ・カミンスキ」とフルネームを記してきて、それが昔知っていた女性だったからだ。

『国語教師』ユーディト・W・タシュラー 著、 浅井昌子 訳

Licensed by Getty Images

「マティルダ??  マティルダ??  マティルダ?? 驚いたよ、信じられない」。
この男、PC(スマホかもしんないけど)の前で絶対ピルエットしたはず。まさに小躍り状態。

クサヴァーは歓喜のあまり、遠慮なく私的領域に突っ込んでいく。
メールを送る。「どうして(ティロルみたいな)山国に移住したの?」。
返信はない。そこでまたメールを送る。
「結婚はしてる? 近況を教えてほしい。君からの返事が楽しみで仕方ないよ!!」。
またもや、なしのつぶて。

クサヴァーはこう思ったかもしれない。よし、返信をくれないんだったら、自分がどれだけ彼女の姿を鮮やかに記憶しているかを書こう。きっと彼女も、僕がどんなに懐かしがってるか、分かってくれるに違いない。

クサヴァーは書く。最近ウィスキーを飲みながら、トム・ウェイツの「ワルツィング・マティルダ」を聴いていること。
聴きながら、26年前にコルシカ島のビーチでこの曲で踊り始めた君の「官能的で情熱的」な姿を思いだしていること。
ついには君がワンピースを脱ぎ捨て、古臭いパンツ一枚で踊ったこと。

「あのパンツ、いまでもよく憶えてるよ。濃い紫で、腹の部分に小さなメッシュが入っていた。君はいつもああいう古臭いパンツをはいていたよね」

ここで今度は私が飛び上がる。
え、そこ!? 古臭いパンツ!? それが古き良き時代の思い出!?
ヤだ。これ、完全にセクハラじゃん!!
この男、めっちゃ気持ち悪い。
これ、無神経な男が自己陶酔するブラックコメディなの?

いえいえ、マティルダ・カミンスキ先生の反撃が始まる。
最初のメールには「親愛なるクサヴァー」と、一応「親愛」が付いていたのに、今度の返信ではあっさり「親愛」が取れる。
「クサヴァーへ/あなたのことを思い出すたびに私の目に浮かぶのは、別の光景です」

続く内容は、ある意味“慟哭の記”だ。

16年前の5月、毎回違った場所にする「行ってきます」のキスをし(「あの日は髪でした」と彼女は書く)、学校で授業し、帰ってみるとなにかがおかしかった。
廊下が広々とし、壁にかけていたルーマニアの写真もコルシカ島の写真もなく、あなたの机も椅子も本もCDも新しい棚も運び出され、テーブルにはメモ一枚なく、ただぽつんとアパートの鍵だけがあった、と。

写真がなくなった跡の壁の白い四角、机がなくなった跡の床の黒光りする四角。
黒白の対比がともに暮らした年月の長さを思わせ、彼女の受けた衝撃と茫然を明暗のコントラストで見せる。
書き置き一枚なかったなんて、どれだけ傷ついたことだろう。何も分からない状況というのは一番の地獄だと思う。

なのに、クサヴァーはいけしゃあしゃあと、家を出た後、君に長い手紙を送ったはずだけど、とトボける。マティルダはきっぱりと、「いいえ、受け取っていません。自分でも知っているはずです」と容赦ない。
コルシカ島に行ったのは、あなたの言う1986年ではなく1987年であり、付き合ったのはあなたが言う15年ではなく丸々16年だと、教師らしい赤ペン添削も忘れずに。

プロローグ段階で、捨てた男と捨てられた女の再会譚であることが明らかにされる本書。再会前でこれだもの。これからいったい何が起きるのか? 居ても立ってもいられない。
もうすぐ真夜中という時刻から読み始めたのに、眠気などすっ飛び、深夜の読書超特急に乗り込んでしまった。

事情は次第に明らかになる。30代のマティルダがノイローゼになるくらい猛烈に子供を欲しがっていたこと、クサヴァーが頑としてそれを拒んだこと、クサヴァーは「卑怯な引越」のあと、ホテル王の娘と結婚したこと。彼女が妊娠したためのデキ婚だったこと。
実はクサヴァーの作家としての出世作・青少年文学の三部作は、マティルダが着想したもの。子供をつくることを約束に、クサヴァーの単著として発表したことなども。

“産みどき”を奪われ、今も愛される有名な三部作の作者という名誉も奪われ、一言の説明も弁解もなく、青天の霹靂のように捨てられたマティルダ。
可哀想すぎると、クサヴァーに対する女性読者の反感は、天井知らずで増していくはずだ。

でもね、これ、当初思っていた小説とは、全然違っていくんですよ。
険悪な再会小説だと思っていたものは、やがて幼児誘拐(疑惑)小説になり、告白小説にもなっていく。
その化学変化がぞくぞくするほどスリリング。

そんな表現を可能にしているのが、クラスター(葡萄の房の意。ケースに小型の爆弾をいっぱい詰めたものはクラスター爆弾)状になった構成だと私は思う。
それぞれの粒は、以下のような要素だ。

「再会前にマティルダとクサヴァーが交わすメール」(進行形の現在)。
ふたりの恋愛がどんな風に始まってどんな風に進んだかを、青春小説風に描く「マティルダとクサヴァー」(過去)。
クサヴァーが書こうとしている祖父の悲恋と一族の歴史「クサヴァーがマティルダに語る物語」(史実に基づいた創作)。
マティルダが気味の悪い監禁譚を紡ぐ「マティルダがクサヴァーに語る物語」(体験談か妄想か分からない話)。

時制の制約にとらわれず、アトランダムに現れるこれらの流れに、やはり小分けにした「16年ぶりの再会」と「クサヴァーの警察での事情聴取」(な、なんと警察ですよ。最初は驚きました)の模様が挿入される。
どちらもシナリオのような会話劇。これがまた臨場感を高める。

そして後半は、「語る」が「語りなおす」になり、「語る物語」が「語る真実」になり、「語る推測」や「物語の結末」という大粒に育つ。

少しマニアックになるけれど、本書には、小説の中で大活躍する“偶然”を、困ったときの神頼み的に使うのではなく、作家の頭脳でコントロールしてみせるという、著者の(同業者に対するお茶目な)矜持も隠されているように思う。
その仕掛けが、本書をミステリーにもしている。
世の中には便利な言葉があります。そう、文芸ミステリー。

さて、たわわな房となって実った葡萄の真の姿とは?

結末で、こんな甘美な男女の関係小説、めったにないとまで思ってしまった。
掘削機が最後にコチンと、これ以上進めない貴石の鉱脈に突き当たった感じ。
クサヴァーってノーテンキなだけじゃなく、とんでもない悪党、女の敵、なんて残酷な男だとまで思っていたのに・・・。

静かな幸福感が広がる。せつないと言う人もいるかもしれない。
なにげなく読み飛ばしていた一行が蘇る。
クサヴァーに捨てられ、失語症に陥ったマティルダを、マリア伯母さんが「いい加減に口を開きなさい」と叱責して、その後に続けた言葉だ。

「人生には、去ることと去られることしかないんだから!」

この言葉、この小説の芯を象徴して、はかなく、重い。
個人的には、再会型恋愛小説の殿堂入り。少なくとも今年の収穫作であることは、自信を持って言える。

語りの様々なスタイルを使って、昔いっしょに暮らした50代の男女が、語る喜びとともに時を編み直すクラスター小説。
プロローグを引き取るエピローグで、ワークショップに参加した15歳の女子が、「私たちの国語の先生」と題して、「これは本当の話です」と締めくくるのにも、矢で胸を射られたのだった。

『国語教師』ユーディト・W・タシュラー 著、 浅井昌子 訳

『国語教師』
ユーディト・W・タシュラー 著、 浅井昌子 訳/集英社
国語教師の女と、有名作家になった男。16年ぶりに再会した元恋人のふたりは、何やら訳ありで――。ふたりが語り合う幾つもの「物語」がもつれ合いながらたどり着く事実とは? リードリヒ・グラウザー賞(ドイツ推理作家協会賞)受賞作。

TEXT=温水ゆかり

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