映画ライター渥美志保さんによる連載。ジャンル問わず、ほぼすべての映画をチェックしているという渥美さんイチオシの新作『ペトルーニャに祝福を』をご紹介。作品の見どころについてたっぷりと語っていただきました!
一歩も引かないアラサー女子に、怯む男たち
映画の主人公は、金なし仕事なし恋人なしで、美人でもおしゃれでもない、どこにでもいるアラサー女子のペトルーニャ。物語のきっかけは、この数年で日本でもクローズアップされている「就活セクハラ」。私が就職活動をした大昔は、女性に対する「結婚したら仕事は辞めますか?」なんていう質問が「当たり前のもの」のようにされていたものですが、逆にものすごく深刻なものが表面にでてくることはなかったから、徐々に時代は変わっているのかなと思います。
「就活セクハラ」において、セクハラの構造がすごくわかりやすいのは、「就職したい」と切に願う学生が、その殺生与奪を握っている(もしくは握っていると思わせている)面接官やOBに逆らうのが難しいから。加害者の卑劣さはもちろんですが、それ以上に被害者が屈辱を覚えるのは、そういう相手に対して毅然と反撃できない自分の卑屈さ――なぜか「相手の機嫌をそこねちゃいけない」と思わされていることだったりします。
まさにそういう最悪な体験をして「私だってきちんと扱われる資格があるはず! 幸せを求めてもいいはず!」と思いながら田舎道を歩いていたペトルーニャが遭遇したのが、折しも始まろうとしていたキリスト教の公現祭とよばれるお祭りです。日本のお正月にも、神社の開門から走って参拝一番乗りの「福男」を選ぶ神事(女性も参加可能)がありますが、公現祭はあれのキリスト教バージョン。「川に投げ込んだ十字架を最初に拾った人が幸せになれる」というもの。おそらく川に飛び込むという性質上、慣習として男性のみのイベントだったわけですが、通りすがりに発作的に参加した彼女は十字架をゲットしてしまいます。
「これで私も幸せに!」と思ったのもつかの間、参加して破れた男たちは「女のくせに生意気な! 俺たちの十字架を返せ!」と大騒ぎに。警察まで出てきて理不尽な身柄拘束をされたペトルーニャは、「今度は一歩も引かない」と肚を決め、自分が「幸せ」を手にすることを許さない世間に、知性と度胸で対抗してゆきます。
映画が描くのは、男社会で「当たり前」とされている多くのことが、実は何の根拠もないという事実を浮き彫りにします。ペトルーニャの「なぜ?」という問いかけは、ある人を「言われてみれば確かに」と目覚めさせ、彼女自身にも「やっぱ私間違ってないんだ」という自信を与えてゆきます。
「フェミおばはん」として煙たがられながら、彼女を応援する年配の女性アナウンサーが振り切ったキャラで面白く、「女はわきまえろ」という崖っぷちに立ちながら、ずばずば切り込んでゆく姿も最高です。
私も自分の過去に経験したセクハラを思い出すと、「あの時、なんでガツンと言い返せなかったのか」という後悔だらけ。「当たり前」と思い込まされていた自分がアホだったなと思います。今の人には絶対にそういう思いをしてほしくないし、声を上げることを全面的に応援します。そんな意味も含めて、すごく力づけてくれるこの作品を見てもらえたらなーと思います。
『ペトルーニャに祝福を』
監督/テオナ・ストゥルガル・ミテフスカ
脚本/エルマ・タタラギッチ、テオナ・ストゥルガル・ミテフスカ
出演/ゾリツァ・ヌシェヴァ、ラビナ・ミテフスカ
(c)Pyramide International
https://petrunya-movie.com/
※5月22日(土)岩波ホールほか全国順次ロードショー
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