さまざまな経験、体験をしてきた作詞家 小竹正人さんのGINGER WEB連載。豊富なキャリアを通して、今だからわかったこと、気付いたこと、そして身の回りに起きた出来事をここだけに綴っていきます。【連載/小竹正人の『泥の舟を漕いできました』】
第45回「Dear My Friends」

10代半ばから20代半ばまで、家族みたいな関係で過ごした同世代の5人の親友たちがいた。
全員が10代から仕事をしていた。
彼らに出会って間もなくアメリカに留学した私が、夏休みや冬休みに帰国するたび、どんなに忙しくてもどんなに短時間でも、5人の仲間たちは必ず集まってくれて、みんなでそれはそれは楽しく濃密な時間を過ごした。
あの時間こそが私には青春だった。他の5人にとっても絶対に。
私がアメリカ生活を終えて帰国してからも仲間たちとはことあるごとに集まった。
帰国後の私は、たまに作詞の仕事をもらいながらたくさんのアルバイトもやった。
しばらくは自分の職業をまだ堂々と公言できなかった。「作詞家です」というには、私のキャリアは頼りなさすぎた。
数曲や数十曲ではプロとはいえない、歌詞を100曲以上書いたら「作詞家です」と胸を張っていおうと思っていた。
大人になるにつれ、みんなで一緒に過ごす機会が徐々に減った。
大人になるとは、自分自身の道をがむしゃらに突き進むということ。群れの中から飛び出す勇気をそれぞれがもって、それぞれの道を選んだ。
仲間の内の誰かと誰かが会うことはあっても、6人が全員で集うことはなくなった。
時は流れ、私は何十曲、何百曲の作詞をして、その歌詞たちが世に出て、ようやく自分の職業を、何のてらいもなくいえるようになった。
去年の12月。
あのときの仲間のうちのひとりが突然この世を去った。私たちの中で最年少だったのに。みんなから一番愛されていたのに。
残された、私を含む5人全員が彼女の死を受け入れることができなかった。
そして先日、彼女の命日にあの親友たちが集まった。全員が一同に会したのは30年以上ぶりだった。
全員変わっていないようで、実はいろいろ変わっていて、けれど、あの頃から数日しか経っていないような違和感のない親しい再会。30年も過ぎたとはとても思えなかった。
彼女との数えきれないエピソードや思い出に泣き、自分たちの若かりし頃を笑い、30年分の答え合わせをした。
1年が過ぎたのに、私たちは揃いも揃ってまだ彼女の不在に疑心暗鬼だった。
あの時代、自分たちの若さなんてまるで自覚していなかった。キラキラした無防備な時間がずっと続くものだと思っていた。
でも、充分すぎるほど大人になった私たちは、今のこのあたたかい再会がずっとは続かないことを知っている。
いつだって会えると思いながら、何十年も会えずにいた私たちは、今は各々が各々の大切な場所をもっている。
口には出さなかったけれど、もしかしたら今後、残された5人が再び揃うことはないのかもしれないと、みんな心のどこかで覚悟にも似た思いを抱いていたと思う。
人生の長さなんて、誰にもわからない。
私たちは、当たり前が当たり前じゃなくなる経験を何度もしてきた。
人生って不思議で切なくて尊い。
「また会える」
「もう会えないのかも」
「でも会いたい」
出会いと別れではなく、出会いと別れと再会、その繰り返しならいいのに。
大切な存在を永遠に失う悲しみより悲しいことなんて、きっと存在しない。
What I saw~今月のオフショット

話題大沸騰中のNetflix映画『10DANCE』に出演中の町田啓太と石井杏奈。2人ともこの連載の常連ですね。
これは数ヵ月前、撮影地のイギリスにいる啓太が「踊りまくってます」のひとことと共に送ってくれた写真。啓太も杏奈も昔から特別な後輩で、この映画を首を長くして待ち、配信開始と共にすぐさま鑑賞した私。演者、演出、原作、脚本、撮影、ダンス、音楽、衣装…、もう全部素晴らしい。随所に上質なこだわりが感じられ、何度も見返したい芸術作品です。
小竹正人(おだけまさと)
作詞家。新潟県出身。EXILE、三代目J SOUL BROTHERS from EXILE TRIBE、E-girls、中島美嘉、小泉今日子など、多数のメジャーアーティストに詞を提供している。著書に『空に住む』『三角のオーロラ』(ともに講談社)、『あの日、あの曲、あの人は』(幻冬舎)、『ラウンドトリップ 往復書簡(共著・片寄涼太)』(新潮社)がある。

