芸人 紺野ぶるまさんによる女観察エッセイ「奥歯に女が詰まってる」。GINGER世代のぶるまさんが、独自の視点で世の女たちの生き様を観察します。
第48回 布団を敷きたくなる女
理想の暮らし、それはこうも日々変化するものかと驚いている。
幼い頃はリカちゃんハウスの中に住みたかった。そのあとはシルバニアファミリー。小学生の頃、団地に住んでいたわたしはテレビドラマ「イグアナの娘」で菅野美穂が住んでるような一軒家にも憧れた。
ふとちびまる子ちゃんの塙くんちみたいな豪邸に住みたくなったと思ったら、ドラえもんみたいに押入れで寝るのもいいなと閉じこもったりもした。
東京出身のわたしにとっては田舎の方言や暮らしが新鮮で、中学生の頃には静岡のおばあちゃんちに行くたびそこでの暮らしを想像した。いつか移住する日を思い「みんなとお別れするの寂しいだに」とひとりセンチメンタルになった。
大人になり「タワマン」という言葉を覚えてからは、そこが皆の理想の住処だと信じて疑わなかった。「億ション」はなんか胡散臭いけど「タワマン」はどうしてか素直に憧れる。
移りゆく情勢やトレンドを上手に司り、SNSを熟知した猛者の寝床があそこにあると、目指した。
30歳が近くなると仲のいい友人がこぞって結婚し出産をした。アパートの一階、万年床で子育てをするのをみながら「諦めたんだね…」という言葉を何度も飲み込んだ。
古く、畳だけが新しい部屋で「子供できたからさ、せめてこれくらいのところには住まないと…」と言われると「タワマン」の高さを知らないこの人の方がもしかして幸せなのかもしれないとも思った。
いつも最上階の人間を羨んでいる人生は辛い。
20代は自分が持っていないものばかりが見え、30代に入ってからはそれらは手に入らないものとして生きていかなければならないという現実に気づく。やけに自分の人生がしけて感じたこともある。
そして35歳、春に子供が生まれたわたしの今の理想の暮らしをいえば、彼女たちのあの一階の部屋だった。
「タワマン」に憧れないと言ったら嘘になるがなんだかそそられない。
マンションの入り口から玄関までの距離を考えるとなんだか萎える。
入り口やエレベーターでベビーカーの車輪がまごまごしているのを想像するだけで「やだなあ」と思う。
どういうわけか赤ちゃんは外に出るとパッと泣き止む。こんな激アツなことない。
一階“で”いいのではない、一階“が”いいのだ。
そして俄然布団で眠りたい。「タワマン」に憧れていた頃、少しでもそれっぽくするためにダブルベッドを買ったが、本音を言うと今すぐ捨てたい。子供が寝返りを始めて落ちる危険しかないのだ。
せんべい布団をおばあちゃんちみたいに三つ並べてゴロゴロしたい。ベッドを残し安全に過ごすにはまた新たなベッドを横に置き柵をつけ…と面倒でしかない。
これからハイハイした暁には畳はちょうどいい硬さである。そこに角の丸い低いテーブルを置き、床に座り安全に子供とご飯を食べたい。
彼女たちは子供と幸せに暮らすためにちゃんと「いい家」に住んでいたのだ。
何も知らなかったと反省した。
「貧乏くさい」と思っていたことは墓場まで持っていきたい。
「人生とは人と比べるものではない」ということに最近やっと気づき始めたわたしは、前よりは幸せに近づいていると思う。
そして子供が大きくなる頃にはまた「タワマン」を連呼するような現役でありたいと願う産後4ヵ月なのであった。
最後に
布団とかけまして
落語と解きます。
その心はどちらも
そこに枕があり、落ち着ける(オチつける)ものでしょう。
今日も女たちに幸せが訪れますように。
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