私たちがファッションに目覚めた10代のころ、ファッション誌の表紙を華々しく飾っていたカバーウーマンたち。年齢を重ねてもなお、美しく輝き続けている彼女たちは、どんな道を選び、そして歩んできたのか。その姿から、自分らしく生きるヒントを学びたい!
雑誌『Seventeen』でモデルデビューを果たして以来、歳を重ねながら魅力を放ち続けている鈴木えみさん。いかなるときも鮮度の高さをキープしている稀有な存在感、そんな彼女の人生観に迫ります。
需要がある限りモデルでいたいから、肩書きは“モデル/デザイナー”
月100本の撮影をしながら自分に求められていることを考えた
雑誌『Seventeen』の専属モデルとしてデビューしたのは13歳。“えみちぃ”の愛称で中高生のカリスマ的存在になると、芝居の世界からもオファーがくるようになり、ドラマや映画に出演した時期も。そして2004年に『PINKY』のカバーガールに抜擢。モデルとしての才能をますますブラッシュアップさせたが、「集英社(2誌の出版元)から出たことがない温室育ちだった(笑)」と振り返ります。
その反動からか『PINKY』の休刊後はストリート誌からコンサバ誌まで、モデルの仕事はがむしゃらに受けたそう。
「1日3本現場をハシゴするのはざらで、月100本は撮影していた時期も。でもあまりにもジャンルの幅が広くて、自分はモデルとして何が求められているんだろうと考えるようになった。それでそれぞれの媒体を理解して、スタッフさんたちと積極的にコミュニケーションを取るようになったら価値観が一気に変わったし、モデルとしての表現力の幅も広がったんです。すごく勉強になった期間でした」
編集長を務めたスタイルブック『s’eee』
革新的だったのが、編集長を務めたスタイルブック『s’eee』の発売。事務所から当初持ちかけられたのは写真集の話だったが、経験とセンスを発揮し、またもや学びのステップに。
「台割、紙選び、フォント決め、モデル選び、スタッフのブッキングなど・・・すべて自分で手がけ、電子書籍を含め5冊発売しました。頭のなかに描いていたものが形になり、それをみんなが手に取ってくれるというのは初めての感覚でしたね。時代や流行に合わせるのも大事かもしれないけれど、以来、受け取った人に何か発見があるようなものを発信するべきだと思っていて、それが今の洋服作りにもつながっています」
それまで受け身できたけれど、服作りは初めての自分のチャレンジ
「モデルとは違う軸がもう1本欲しいと考えたとき、13歳からモデルを始めて、着てきた服の数は誰にも負けないと思いブランドを立ち上げました。私自身、服が好きになって服の力を感じたからこそ、それを伝えていきたいと思ったんです。決して安い値段ではないですが、必要最低限の数だけ生地作りからこだわって愛情込めて作ることで長く着続けてほしいという思いがあります」
「私はそれまで、けっこう受け身で生きていたんですよね。本を出したのも、もともとは事務所がきっかけをくれたわけだし。そう思うと服作りは自分にとってのチャレンジ。経験値を重ねないと定番アイテムは生まれないから、とりあえず骨組みはできてきたので、これからは肉付けして膨らませていきたいですね。とはいえ、需要がある限りモデルも続けたいので、肩書きは“モデル/デザイナー”です」
唯一無二の光を放ち、誰にも真似のできないポジションを確立している彼女。“鈴木えみ”という女性から、これからも目が離せません。
鈴木えみ(すずきえみ)
1985年9月13日生まれ、京都府出身。数々のファッション誌や広告でモデルとして活躍しながら、アパレルブランド「ラウタシー」を主宰。デザイナーとしての顔も持つ。