私たちをエンパワーしてくれる本を、ライターの雪代すみれさんがナビゲート。
美に関する傷つきを癒してくれる本
中学生の頃、毎日のように「ブス」「デブ」と言ってくる人がクラスにいて、歩けば「ドスドス」と効果音をつけられる嫌がらせもされた。
高校は嫌がらせをしてきた同級生とは違う学校に進学したため、毎日呪いをかけられることはなくなった。また、高校生から大学生まではヴィジュアル系バンドにハマり、ライヴやCDショップへ出かける際には、パンクやゴシックにカテゴライズされる装いを楽しんだ。目立つ格好であったため、ジロジロと見られることもあったが、普段とまったく違う自分になれることが新鮮で心が躍ったことを覚えている。
一方、日常でのファッションや美容は楽しみつつも「もう毎日ブスと言われたくない」という気持ちは大きいままであり、「(自分が楽しいかの前に)ブス扱いをされないために、綺麗でいようとする努力を続けなければならない」――この呪いは数年前まで解けなかった。
美に関して苦しんでいた頃の自分に贈りたい本が『美容は自尊心の筋トレ』(長田杏奈 著/Pヴァイン)だ。著者の長田杏奈さんは女性向け雑誌を中心に、美容に関する記事執筆を行うライターである。
本書は
この本を通して伝えたい「美容」は、「絶対的な美」という絵に描いた餅を渇望とともに追いかける無理ゲーではない。自分を大切にすることを習慣化し、凝り固まって狭くなった美意識をストレッチする「セルフケア」の話がしたい(p.7)
と書かれているように、さまざまな点から美にまつわる固定観念を問い直す本だ。
容姿イジりが生む「私なんて」
中学時代の話に戻る。「ブス」「デブ」を悪口というより容姿イジりとして言ってくる人もいた。セクハラ(性暴力)被害が原因で退職した元職場でも、遠回しなブスイジりをされた。イジる側は「愛を持って」盛り上げてるつもりかもしれないが、言われている側は楽しくない。「おいしい」という反応をしないと「空気読めない奴扱い」をされるため、「笑いながら怒る」という対応をしたこともあるが、本当はきちんと抗議したかった。そんな経験があるため、下記部分に非常に共感した。
(「ブス」という言葉は※筆者補足)本音とされることをズバッという芸風の人が、親しみと毒気を混ぜて笑いを取るときにも使われる。これに関しては、よっぽどの愛とセンスがないと、触らない方がいいんじゃないかと感じる(p.18)
顔が好みだとかそうではないとか感じるのはまだ自由だけれど、居直って相手にぶつけて傷つけたり、差別するのはもってのほか(p.22)
日常的に「ブス」と言われなくなり、容姿を褒められることがあっても、残り続けたのは「私なんて」という感覚だった。
大人になった今、わざわざ他人に「ブス」「デブ」と言ってくるほうをなんとかすべきだと思うが、「ルッキズム(容姿差別)」という言葉が浸透しつつある昨今でも、人々が他者の容姿に気軽に言及する(褒めることも含めて)様子は散見される。
「私なんて」の呪いを解こう
社会で「容姿差別をやめよう」「安易に他者の容姿に言及しないように」と共通認識が持たれるのはもう少し先だろう。というわけで、生き抜くためにセルフケアが必要な状況がまだ続く。
長田さんは呪いの解き方について
「私なんて」と思い込むようになった経緯を思い出し、自分が悪いのではないと根気強く言い聞かせ、「醜くも取るに足らなくもない、生きているだけで尊い存在」だと刷り込み直す(p.53)
と助言する。また、「私なんて」と思ってしまうことが自己責任ではないことを強調したうえで、
私なんて無間地獄から自分を救出できる勇敢なヒーローは、あなた自身なのだ。思いつく限りのあらゆる方法で、「私なんて」への抵抗を試みてほしい(p.54)
とエールを送る。本書には呪いを解くためのプロセスも記載してあるため、手に取って見てほしい。
本書ではほかにも「他人に嫉妬してしまう」「SNSで他人からどう見られるか気になる」「イタいって?」「ママ=時短と決めつけること」「女を捨てるって?」などが取り上げられており、自分の心や社会からの抑圧と向き合うことをサポートしてくれる。
美に関して何かしら痛みを感じたことがあるのならば、本書を読むことで息がしやすくなるだろう。自尊心を癒すためのお守りとして手元に置いておきたい一冊だ。
『美容は自尊心の筋トレ』(長田杏奈 著/Pヴァイン)
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