自分とは何か?を問いかけながら、愛をテーマに描く作品『ある男』。映画ライター渥美志保さんが語る見どころとは?
愛した人が、正体不明の男だったら…
幼い子供を失い離婚して故郷に戻った里枝は、どこからともなくやってきてその田舎町にいついたよそ者の男・大祐と出会い、やがて再婚します。前夫の間に生まれた長男と、新たに長女が生まれ、家族4人の幸せな生活が始まったのもつかの間、大祐は不慮の事故でなくなってしまいます。ところが生前に疎遠となっていた大祐の家族に連絡を取った里枝は、尋ねてきて遺影を見たその兄から「これは大祐ではない」という衝撃的な事実を聞かされることに…。
里枝は「自分の夫はいったい何者だったのか?」を知るために、離婚のときに世話になった弁護士・城戸に身元調査を依頼します。物語は基本的に「大祐は本当は何者なのか?」「大祐はどうやって別人になったのか?」「別人になることで隠したかった過去はなんなのか?」を追ってゆきます。
この作品がユニークなのは、にもかかわらず映画の最初と最後が「城戸」のお話になっていることなんですね。城戸みたいなキャラクターは、映画を見る人と同じ視線で物語を追ってゆく役割(=「狂言回し」といいます)なのですが、この映画はそれだけにとどまりません。城戸は真相を追ううちに、「自分とは違う人間として生きてゆきたい」という大祐にどんどん感情移入して、その作業にとりつかれていってしまうのです。つまり「自分とは違う人間として生きられたら」と考えてしまうような現実を、城戸もまた生きているんですね。
別人になってこそ、本当の自分でいられるもの?
人間は誰もが「自分」を演じながら生きている部分もあるし、「他人にどう見られるか」を気にして自分を見失ったり、「男らしさ女らしさ」とか「お母さん」といった社会的役割に縛られて素直に生きられなくなっている人もいるはず。かと思えば、普通の生活ではすごく穏やかなのに、夜な夜なSNSで他者を猛烈に攻撃している、なんて人も。
いっそのこと、自分の名前も育ちも何を学び何をしてきたか、そういうことを何ひとつ知らない人たちに囲まれて生き直すほうが、いまよりずっと自分らしく自由なのかもしれません。すごく逆説的ですが、映画が描く「別人になること」は、実は「先入観や偏見、差別にも判断されない【本当の自分】になること」だったり。
城戸を演じる妻夫木聡さん、里枝を演じる安藤サクラさん、大祐を演じる窪田正孝さん、ほんとうにみんな素晴らしい演技をしています。エンタテイメントとしての謎解きも面白いし、ラストの妻夫木さんのやるせない余韻もたまりません。
『ある男』
監督/石川慶
原作/平野啓一郎「ある男」
出演/妻夫木聡、安藤サクラ、窪田正孝ほか
https://movies.shochiku.co.jp/a-man/
11月18日(金)全国ロードショー
©2022「ある男」製作委員会