本当は興味津々なのに、決して踏み出せない――芸人 紺野ぶるまさんの自分観察。【連載「奥歯に女が詰まってる」】
四十にして惑う女

今月で40歳になる。十の位が変わるのはなかなかヘビーである。急に顔が老けた気がする日もあるし、40歳にしては若くない?と思う日もある。専業主婦の友達に会うと、ところでわたしはいつまで仕事をするんだっけ?と思う。
ただ自分が好きで芸人を選んで、勝手にやってるだけのことなのにいつまで一喜一憂するんだ?と。
芸人をやっていて辛いときは言わずもがな、すべったときである。絶対ウケると思って準備したトークをはずしたときはそんなに傷つかない。仕方ないと思えるのだと思う。どうかみんなが早く忘れてくれますようにと星に願うテンションに切り替えられる。一番喰らうのは、急に振られてパッと出した答えがウケなかったときである。
なんだか普段ろくにネタも書かないでダラダラしてる時間が多分にあることを大勢の前で晒してしまったような、本当は芸人なんて向いてないことがバレた気がする。カメラが止まるとひとり一点を見つめてぼーっとするという、一番最悪な選択をとってしまう。
家に帰ってからもずっと頭のなかでぐるぐると考え恥ずかしさで叫びたくなる、みたいな時間がいまだに日常的にあるのだ。いやそれは芸人でなくてもきっと誰にだってあるのだろう。
数打ちゃ当たるという言葉があるが、数打ちゃ外れるのだ。これはどんなベテランも年長者もそうである。猿も木から落ちるし、河童もたまには川に流されるのだ。
そんなとき会社員の夫が近くにいてくれて本当に良かったと思う。彼は私の本が出版されれば書店を回って買ってくれるような優しい人だが、お笑いにはまるで興味がない。落ち込んでるわたしの心中は察してくれるが「ところでその番組って誰がみてるの? 有名じゃないじゃん」と真実を教えてくれる。「君がすべろうが叩かれようが明日になったら誰も覚えてないよ、僕たちはサッカーや野球の結果のが大事なんだから」と。
付き合った当初聞いたときは「お笑いなめんなよ」と怒っていたが、冷静に考えればそうである。周りに芸人しかいかないから気づかなかった。本当はみんな大半のことはどうでもいいのだ。
それよりもお昼はなにを食べようか、今月の給料はいくらだろうか、わたしたちは何歳まで生きるのか?でいくら必要なんだ?そういえばサッカーの結果どうなった?である。
常にお笑いのことを考えてるひとなんてお笑いをやってる人くらいだ。そしてその人口は日本の割合の0.000….なのだ。
そこである日から私は彼にネタを見てもらうことにした。携帯をいじり釈迦寝をしてる彼に頭を下げて四分ネタを披露する。
「…あそことあそこボケが意味わからなかった、どう言う意味?」
「てか、表情もあるし私の方みてくれない?」
「いや、この状態でも振り向かせるくらい面白くないと世間の人は笑ってくれないから」
確かにな、と素直に思う。そう言う彼をみながらネタ見せを重ねると、わたしのネタは最初のボケまで格段に早くなった、みんながわかるような言葉を使うようになった、やはり下ネタは常套手段だと思った。面白くなったな、前よりと思う。
今日も私以外の誰かがテレビで大ウケしている。悔しいなと思う。こういうとき、ウケるのも難しいけど、続けるのはもっと難しいよなと思う。人と自分を比較するなというけど、考える前に比較してるんだよ、うるせえな、と思う。テレビから聞こえる笑い声を無視して隣にいる夫はスマホを懸命にみている。なにをそんなにと目をやると蛇がリスを丸呑みしてる動画である。はあ、これに勝てないなんて、面白いなあと思った。勝てないという事実を知っていることがわたしの強みになるかもな、と思うと気分が良かった。気分がいいうちは続けられると思った、30代最後の夏の終わりなのだった。
最後に
他人の評価が気になったときに大事なこととかけまして
1番にこだわらない人と解きます。
その心はどちらも
どうでもいい(銅でもいい)でしょう。
紺野ぶるま(こんのぶるま)
1986年9月30日生まれ。松竹芸能所属。著書に『下ネタ論』『「中退女子」の生き方 腐った蜜柑が芸人になった話』などがある。
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