近寄りがたいほどに美しく、凛とした佇まい。中谷美紀さんに、そんな印象を抱いている人も多いかもしれない。けれど、エッセイ『大草原の小さな農家』を読み進めるうちに、そのイメージはやわらかくほどけていく。そこに綴られているのは、整いすぎた理想の暮らしではない。畑仕事に向き合い、引っ越しに奔走し、時に戸惑いながら異文化のなかで日常を紡いでいく――そんな、どこまでも人間らしい営みの連なりだ。思わずくすりと笑ってしまうようなユーモアと、ふとしたところに顔をのぞかせる茶目っ気。そして、その奥にある、物事を冷静に見つめる聡明さ。本書は、“中谷美紀”という人物を、遠くから眺めるのではなく、少しだけ身近な存在として感じさせてくれる一冊でもある。
半径数メートルの世界を守るという選択

言葉にしなくても、日々のなかで大切にしているものは、きっと誰にでも在る。そして生活の何気ないはざまに、自分を整えていく感覚に気づき、思考を巡らすことはとても大事。
中谷美紀さんによる新刊エッセイ『大草原の小さな農家』は、そうした日常の手触りを、静かな語り口で綴っていく一冊。
舞台となるのは、オーストリアでの暮らし。俳優として国内外を行き来する多忙な身でありながら、住まいを移したり、畑仕事に向き合い、時にはオペラや美術館へ足を運ぶ――。そのめまぐるしいであろう日常をないがしろにすることなく、そのひとつひとつを丁寧にすくい取り、言葉へと置き換えていく。
本書には、『小説幻冬』で連載中の「文はやりたし」が収録されていて、扱われるテーマは多岐にわたる。俳優としての仕事から旅、政治、身体のこと、食、そして老後に至るまで。
「全部が別々の話に見えて、私のなかではどれも地続き。日々を生きていくなかで、目の前のことに向き合って、感じたことをそのまま置いていく。だからテーマを並べたというより、暮らしのなかで自然に出てきたものを書き留めた、という感覚に近いかもしれません」
その言葉のとおり、本書は「想定したテーマを語る本」というよりも、「生活の質感」をそのまま綴った記録のようでもある。それでもなお、読み進めるうちに一本の軸のようなものが浮かび上がる。それは、彼女の「断定しない」という姿勢。
「何が正義なのか、簡単には言い切れないものだと思っています。だからこそ、自分が感じたことについても、あまり断定的な言い方はしたくないんです。書くという行為は、ともするとひとつの答えを提示するものになりがちですが、本来はもっと曖昧で、揺れを含んだものでもいいのではないかと。読んでくださる方それぞれに事情や背景もあって、受け取り方も違うと思うので、私の文章が“答え”になるのではなく、誰かにとっての“考えるきっかけ”になるくらいの距離感で、余白を残しておきたいと思っています」

異なる文化のなかで暮らすことで、そうした感覚がより研ぎ澄まされていくのかもしれない。
「ウィーンの人々はとても親切。大きな荷物を持って駅に行くと、誰かが自然にドアを支えて待っていてくれる。急いでいる様子でもなく、ごく当たり前のことのように手を差し伸べてくれるんですよね。日本ではなかなか見ない光景だな、と毎回静かに驚きます。近所の方やコンビニの店員さんとも、その場で少し立ち話をしますよ。暮らしのなかで人と関わる時間が、思っている以上に大きな意味を持っているのだと感じるようになりました」
オーストリアでの日常を語る言葉からは、土地の空気だけでなく、人との距離の近さが伝わってくる。その小さなギャップさえも楽しんでいるようで。
「向こうでは挨拶が基本だから、つい日本でも同じように店員さんやタクシーの運転手さんに『こんにちは』と、話しかけてしまうのですが、だいたい怪訝な顔をされます(笑)」


率直さと慎重さが同居しているのが、本書の魅力。そんなバランスを保てている理由は、連載という場だからこその“気楽さ”もあるよう。少し笑いながら、こんな本音も語ってくれた。
「『小説幻冬』は気負わず自由に、誰かの顔色を伺いすぎずに書ける場所。“正解っぽい言葉”に寄せないでいられる。もちろん甘えてばかりはいけないのですが、長年見守ってくださる編集の方々の懐の深さに支えられている部分も大きいです」
彼女らしい、彼女だからこそ紡ぐことができる文章の奥にあるのは、言葉と向き合うときの静かなる迷い。自由に書ける場だからこそ、「書く/書かない」の判断は、むしろ慎重になる。
「言葉を尽くして書いても、誤解されたり、疑われたりする時代。だから“説明すれば伝わる”とも限らなくて、言い訳じみて見えてしまうかもしれない。
エッセイを書かせていただいていますが、私は外国語で苦しんでいる身なので、『言葉なんてなくてもいいのに』って思う瞬間もありますよ。全部オノマトペだったらどれだけ楽かって(笑)。
それでも、感じたことを大切にしていきたいですし、SNSのようにすぐ反応する言葉ではなく、時間をかけて沈殿させた言葉だからこそ残せるものもあると思っています」

俳優として“演じる”ことと、“書く”こと。その表現は大きく異なる。
「俳優という仕事は、その作品と観てくださる方の間をつなぐ“媒介者”のような役割だと思っています。自分の感情を出すというより、作品の意図や世界観を受け取って、きちんと届けることに責任がある。
一方で、書くことはもっと個人的。私が日々のなかでふと美しいと感じたことや、好きだと思ったこと、そして関わっている方々の素晴らしさを、自分の言葉でそのまま置いていくことができる。俳優という仕事ではどうしてもフィルターを通して表現することになるけれど、書くことに限っては、そのフィルターを外してもいい場所のような感覚があります。
だからこそ、大きな何かを変えようとするよりも、まずは自分の身の回り――半径数メートルかの小さな世界を、少しでも穏やかなものにしていけたらと思うんです。それが私にとっての“書く意味”なのかもしれませんね」
大きな声で主張するのではなく、自分の手の届く範囲を丁寧に整えていく――。その姿勢は、作品全体にも通底している。そして、その延長線上にあるのが、これからの生き方。
「五木寛之先生の『林住期』(幻冬舎刊)に、『50〜75歳は好きなことをしなさい』と書かれていて、とても背中を押されたんです。これまでは“やるべきこと”や“求められること”に応える時間が多かったけれど、これからはもう少し、自分が心地よいと感じる方向に素直でいたいと思っています。
田舎暮らしもそうですし、家族やご近所さんとの関わりなど、手の届く範囲の小さな世界かもしれない。でも、その小さな世界を丁寧に守っていくことのほうが、いまの自分にはしっくりくる感覚なんです。生活を整えて、無理をしすぎず、健やかに日々を重ねていくこと。それが、自分を支えてくれるのではないかと感じていますし、結果的に演じるという仕事にもつながる気がしています」
遠い異国の暮らしを読みながら、その言葉の数々に自分の身の回りの風景を見つめ直したくなる。日々はただ過ぎていくものかもしれない。けれど、その機微に目を留め、咀嚼するとき、そこから自分の人生の輪郭が立ち上る。『大草原の小さな農家』は、そんな当たり前かもしれないことを、あらためて思い出させてくれる一冊だ。
【6月11日発売】『大草原の小さな農家』


