令和の清少納言を目指すべく、独り言のようなエッセイを脚本家・生方美久さんがお届け。生方さんが紡ぐ文章のあたたかさに酔いしれて。【脚本家・生方美久のぽかぽかひとりごと】
第4回 感情選手権
頭の中でいつも開催されている大会がある。感情選手権というやつである。できれば開催を中止したいし、規模も縮小したいが、そうもいかない。
物語を書くというのは、人間を描くということで、それは感情を描くということだと思ってる。たぶん間違ってない。ドラマや映画を観る人たちも「わ、理不尽に彼氏にフラれた……ツラいだろうな」と、キャラクターの感情を想像したり、「え、なんでそのくらいのことで殺したの? 何があったの?」と、その後に明かされる感情を楽しみにしたりしてるはず。物語はそうやって楽しむものだと思うし、それが子供向けの絵本やアニメだったりすると、【他人の気持ちを考える】っていう人間にいちばん必要な能力を育むための第一歩になったりするんだと思う。素晴らしい。
なんだけれども。【他人の気持ちを考える】ということ自体に、ちょこっと違和感を持っている。それは子供の頃からで、ずっと違和感がありながらも、誰も「違和感あるよね~」と言わないので、受け入れるべきものなんだと思って、黙ってた。
それを顕著に感じたのは学校の授業だった。小・中学校だったら国語、高校だったら現代文。そのテストの、小説の読解問題。問題文の一部に線が引かれていて、「傍線部での主人公の感情で最も近いものを選べ」みたいのがよくある。あれがいちばん苦手だった。ちゃんと問題文を読んで、ちゃんと考えた。ぜんぶの選択肢の可能性を考え、消去法もしつつ、最終的にひとつを選ぶ。……当たんねんだこれがまじで。なんで。わたしほんと、なんで? 読んだ? ちゃんと読んだ? 主人公の気持ちになった? って自分で自分を責め、ちゃんと読んだもん……と落ち込む。落ち込んで反省して解説を読んで理解して次に繋げる、ということができれば成績はもう少しマシだったかもしれない。残念ながらわたしは捻くれている。捻くれているわたしはその手の問題を間違えるたびに思っていた。
主人公の気持ちは主人公自身にしかわかんないだろ! 他人が決めつけんな!!!
先生とか親とか、ちっちゃなわたしや思春期なわたしに関わってきた大人たち、まじでごめんね。わたしはわたしみたいな子供には絶対に関わりたくない。自分でも自分を「めんどくさ……」と驚くことがあるくらいだから、他人だったら耐えられないと思う。
(話を戻します)でも、やっぱ今でもちょっとだけ納得いかない。ドラマや映画を観ても、小説や漫画を読んでも、登場人物の感情っていうのは、視聴者や読者が感じたものが正解なんじゃないかと思う。自分自身ドラマをつくってみて、実際に視聴者の方から「○話の××のシーンでの△△の気持ちはどっちが正解ですか?」と二択クイズを課せられたことがあった。もちろんシーンによっては確実にこの感情のつもりで書いた、というものもあるけど、大概はどっちもあり得る、とか、どっちでもあなたが受け取ったほうでいいよ、というものばかりである。
大事なのは、必要なのは、相手の感情を“当てる”ことじゃなくて、あくまで“想像する”ことなはず。人の気持ちがピタッと当てられるんだったら、こんなにみんな人間関係で苦しんでないはず。そもそも普段の人間生活のなかで、感情がひとつの瞬間ってなかなかない。例えば、最近わたしは誕生日を迎えた。友人や仕事仲間たちが「おめでとう」と言葉をくれたり、プレゼントをくれたり、とても嬉しかった。単純に『嬉しい』という感情だけで「わーい! いぇーい!」ってなりたい。なりたいのだが、大概こういう場面では『申し訳ない』が『嬉しい』にKO勝ちする。「ありがとうございます」より「なんかすみません」って言っちゃう。しかもその『申し訳ない』には『照れくさい』がトッピングされているし、『(プレゼントの中身への)期待』が隠し味に入っている。感情が忙しい。
そんなわけで、感情選手権は決着がつかないことも多い。決勝進出の常連は『悔しい』と『恥ずかしい』と『苦しい』。わたしの『悔しい』は強い。こいつが強い人間の性格は負けず嫌いと称される。まさに、と思う。『苦しい』に関しては参加を棄権してほしいんだけどいつもいる。めっちゃシードでいる。めっちゃシード。だから他の感情たちから嫌われてる。この前も控室で「下が詰まってるんだから早く引退しろよ……」って悪口言われてた。可哀想だけどわたしもそう思う。
でもいるってことはいる意味があるってことで、この子に救われることもある。直接的にはまったくない。『苦しい』に対して思うのは「苦しい!!!!」でしかない。ただ、後になって、あのときの『苦しい』があったから、この『嬉しい』があるのか、とか、そういうことがあったりする。いないに越したことはないけど、『苦しい』がなく『嬉しい』があるほうが嬉しいけど、たぶんそうもいかない。『嬉しい』が優勝するのは、毎度シードで現れる『苦しい』に勝てたときだけらしい。
今、わたしの脳内では、脚本の締め切りに追われている『焦り』と、ずっと心待ちにしていた映画をこれから観に行くという『楽しみ』が正面衝突している。『焦り』に打ち勝ってなんとか映画館へ行こうと思う。がんばれ『楽しみ』。
……自分が主人公の物語が現代文の問題に使われたとしたら、どこに傍線が引かれて、どんな選択肢が与えられ、何が正解になるんだろう。抜き取った、切り取った、人生の途中の一瞬のひとつの場面なんかで、当てられてたまるもんか、と思ってしまう。
生方美久(うぶかたみく)
1993年、群馬県出身。大学卒業後、医療機関で助産師、看護師として働きながら、2018年春ごろから独学で脚本を執筆。2022年10月期の連続ドラマ「silent」の全話脚本を担当。