芸人 紺野ぶるまさんによる女観察エッセイ「奥歯に女が詰まってる」。GINGER世代のぶるまさんが、独自の視点で世の女たちの生き様を観察します。
第46回 女を見くびっている女
「すごいですね」
「それめっちゃ似合ってますよね」
「羨ましいです」
「本当上手ですよね」
褒めてもらっているはずなのに、どうしてか気分が悪いときがある。
実際「この人いつもむやみに褒めてくるから苦手」という相手がいる。
あちらはあの手この手で上記のような言葉を吐いて近づいてくるがなんでだろう、まったく嬉しくないのだ。なんかバカにされているような気になるし、言葉尻がどこか上から目線だったりして、腹が立つことすらある。
彼女はわたしに「その服おしゃれな色ですよね」と言ったあとに、必ずちらりと鏡を見て自分の顔をみる。まるでそれ以上にいけてる自分を確認するかのように、前髪を触る。
こちらがそれをみていると「わたしは褒めましたよ、嬉しいでしょ?」と言わんばかりの笑顔を向けてくるから礼を要求されているようで胸がつまる。
会った後にはどっと疲れる。こちらがそんな気分になっているとはまったく気付かずに、会うたび延々褒めちぎってくる。手のひらで転がしているつもりなのだろう。
ああ、下手に褒められるくらいなら、上手にいじられたいと願うのはわがままだろうか。
シャレが通じない人とどうかみくびらないでほしい。
「これどうされますか?」
「どうされたいですか?」
「わたしはなんでもいいので合わせます」
「大丈夫ですか? 代わりましょうか?」
なにかにつけて気を遣ってくるところもこういう人の疲れる要素のひとつだ。
気遣いは大事だ、しかしやりすぎはよくない。
「あなたにはこれくらい気を遣わないと怒りますよね?」と常に相手に聞いているようなものだからだ。
自分はいいかもしれない。人を褒める余裕があり気遣いができる人間に見られてさぞ気分がいいと思う。しかし、気を遣われた側は周りから「あんなことで怒る人なのか」と偉そうに思われてしまう。
そのへんをお構いなしなのが悪だ。
「気を遣ってやってる」ことでイニシアチブを握っているのだ。本当の気遣いとは相手に気を遣っていることがバレないようにするものではないだろうか。
そういう人のもう一つの共通点、それは自分の容姿に絶対なる自信があるということだ。
どうにか嫉妬されないように努めているのだろう。言ってやりたい。「なめんなよ」って。
彼女に褒められるほど私はどんどん表情が曇って益々偉そうで怖い人になっていく。人から見たら美人に嫉妬してイライラしているように見えているだろう。
ああ、また会うのが憂鬱だ。
そんな私を見て彼女はまた言うんだから。
「大丈夫ですか? お疲れですか? 座ります? なんか飲まれます?」って。
最後に
下手に褒めてくる人とかけまして
「それおばあちゃんに食べさせちゃダメでしょ」と解きます。
その心はどちらも
持ち上げることで(餅上げることで)相手の息をつまらせるでしょう。
今日も女たちに幸せが訪れますように。
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