鼻にかかった声としぐさを活かしたお笑いのネタで話題となり「国民的地元のツレ」として、多くの人に親近感を覚えられ自分の意見をはっきり言う姿勢が「頼れるアネゴ」と人気のヒコロヒーさん。今やバラエティだけでなくドラマ、CM等で多忙を極めている彼女が、「最初に触れたものと記憶」について書き下ろしてくれました。
My First Touch
ベッド脇でレモンとウッディの香りが特徴的なアロマオイルをたいて深呼吸をする。もしくは早起きして窓辺で朝の光を浴びながら瞑想をする。仕事終わりにジムに行って汗を流す。休日は友人とちょっと良いホテルでちょっと良い値段のランチを嗜む。素敵な写真が撮れたらすぐにインスタグラムへ移動する。表参道にあるお気に入りのショップで来シーズンの洋服を一枚買う。帰りにイタリアンバルでグラスワインの一杯でも飲む。それらが私のリラクゼーションである、と、胸を張って言える女に生まれていれば、この人生は随分と違ったものだったのだろうと考える。
リラックスというものを心身共に緊張から解放して安心状態へ招くものと定義すれば、私にとってのそれは仕事の合間の、もしくは終わりの、あるいは朝起きた瞬間の、否、どの瞬間だって構わない、どんな時でも、たった一本のたばこである。平成生まれの愛煙家とは何やら訝(いぶか)しい生き物なのかもしれないが、今この瞬間さえ、私はたばこを片手に持っているのである。
この人生で一番最初にたばこを吸ってみようかと好奇心が震えた瞬間のことを今でも覚えている。もちろん二十歳を超えた頃である。二歳上のみほさんという女性が、ある日突然セブンスターを吸い出していたのだった。
みほさんは栗色のロングヘアで、カラオケに行くと必ず安室奈美恵の「Chase the Chance」をどういうわけか右腕を直角に曲げた状態で髪を振り乱しながら歌い踊るのでおなじみの女性だった。彼女の恋人はけんとさんという、みほさんより更に三歳年上の、癖毛でいつも前髪がくるんとしていて平野レミの前髪みたいになっていた男性だった。けんとさんは自分の自転車のおしりに「天地無用」という荷造りの際にしか見かけないシールを堂々と貼っていた。
みほさんがけんとさんと恋人になったことは風の噂で聞いていたが、みほさんがたばこを吸っている姿を見た瞬間、何も知識がなかった私が気付いた唯一のことは「みほさんがけんとさんが吸ってるたばこを吸っている」というものだった。急に吸い出したくせにもう何年も前からセッタ(セブンスターの愛称)と苦楽を共にしてきました、みたいな顔をしながら、みほさんは当然のようにたばこを吸っていた。
「みほさんたばこ吸い始めたんですか」と、多分あまりにもみほさんが明らかに急に吸い出したくせにもう何年も前から吸っていましたみたいな顔をしすぎていたため、私の後輩が異議申し立てを兼ねてやや意地悪なニュアンスを含ませながらそう尋ねた。私は野暮な質問をしてやるなよと思いながらも、それでもみほさんが何と返答するのか知りたかった。男に影響されたと言うのはきっとみほさんは恥ずかしいのだろうか、今日から吸い始めたと言うのも白状するようで恥ずかしいだろうな、恥ずかしさが沢山あるかもしれないがみほさんはそれをどう捻り倒してくれるのだろうかと、ほとんどただの好奇心でどきどきした。
後輩にそう尋ねられたみほさんは一瞬、ん?という表情になってから、間髪容れず「けんとが吸ってるから」と言った。あの間髪の容れなさは凄かった。私は今でも「かんはつ」と聞くとあの瞬間のみほさんが思い出される程、間髪といえばみほさんになってしまう程、そこには一ミクロンの間もなかった。
そして私はその光景に、雷に打たれたような衝撃を受けた。きっとみほさんは恥ずかしいだろうななどと考えた自分がお門違いだったことに気付かされたのである。みほさんは誰の目から見てもけんとさんに影響されてセッタを吸い出していたのは明らかで、それも急に吸い出しているのに生まれた時から吸ってましたみたいな顔までして、さらに後輩に意地悪にそこを突かれてしまうという状況にまでなったのに、みほさんは、何ひとつ恥ずかしそうでなく、むしろ誇らしいかのように自信ありげにそう答えたのである。
私なら自転車のおしりに「天地無用」というシールを貼っているとんちんかんな男に影響されて今日からたばこを吸い出したなどと口が裂けても言えないと思ったと同時に、それをさらりと何も気にせず言ってのけたみほさんを心から尊敬し、眩しさを感じ、何も恥ずべきでないことを勝手に作り出して勝手に恥じるのはやめようと決意したものである。
そんなみほさんを見て「たばこを吸うってかっこいいな」と私は短絡的に思い立ち、私もたばこを吸うようになった。最初は何だってそんなものであろうが、私が幸運だったと今でも思えることは、みほさんもけんとさんもたばこの吸い方が異常に美しかったことである。彼らはかろやかに、まろやかに、しかめ面などせず、たばこを挟んだ指先をまるでニキビができた箇所を触るように繊細に唇まで持っていき、たばこを咥(くわ)えれば静かに穏やかに、すうっ、と、煙を吸い込み、それから、ふうっ、と、誰の邪魔にもならないよう丁寧に煙を吐き出していた。
私は今でもよく麻雀を共にした周囲の人間から「ヒコロヒーはとにかく麻雀してる時のたばこの吸い方が綺麗だ」というふうにお褒めにあずかることがある。これは私のたったひとつの長所であり、アルバイトの履歴書の長所欄にもいつも「たばこの吸い方が綺麗だとよく言われます」と長い間書いてきたものである。それもこれもどれもあれも、みほさんとけんとさんの見よう見まねをしていたおかげなのである。最初に出会ったたばこ人が彼らでなければ、今の私は存在し得なかっただろうということまで考えられる。
そんなたばことの強烈な出会いを経て、あの時のみほさんよろしく、それからというもの私はずっとたばこと苦楽を共にしてきたつもりでいる。楽しい時も悲しい時もつらい時も嬉しい時も、常にたばこはそこにい続けているのである。そして特にああよかったな、あなたがいて…と花*花ばりに思うのは仕事にまつわる瞬間である。
端から見れば特殊な世界だと思われている私たちの仕事かもしれないが、実はそんなに世間様の仕事ぶりと変わらないのではないかと感じることがある。仕事のための準備を徹底し、気合を入れ、仕事を全うし、終わればほっとする。今日は良かったと自身に花丸の判子をついてやれる時もあれば、まだまだ頑張らねばと奮起するふりをしてふて腐れたくなるような時もある。どちらにせよ、目まぐるしく、途方もなく押し寄せてくる次の瞬間というものへ向けて切り替え続けなければならない日々であり、こんなことは仕事に熱意を持って働くこの社会の人たちと大きな差異はないのではないかと思っている。
そんな日々の中で、気を休めたくなる瞬間に向かうのは喫煙所である。少しくらい離れていようが誰もいない喫煙所を探し出し、ひとりきりで一本のたばこの先に火を点け、ちりちりと燃えていく紙と葉の香り、そして燻ってくる煙を眺めていると肩のあたりから全身の力がすとんと抜けていくのがよくわかる。それから徐々に訪れるのは無音の内省の時間で、先程の出来事について自分の中で落とし込み、考え、あるいはもう考えないという考えに行き着いたりしながら煙を何度か吸ったり吐いたりしているうちに思考は次に控えているであろう何らかの出来事へと移行していく。さっきまで整えられていた丸い細長のたばこの先は燃やされ続けたせいで不細工に短くなり、灰皿へ押しつける頃には一寸前の出来事がリセットされたような、そうして一寸先に向かう準備が完了したような、そんな人生の狭間のような瞬間をいつもたばこが共にしてくれている気がしている。
誰もいない喫煙所が恋しくなる時もあれば、誰かがいる喫煙所に心から安心する時もある。
仕事が終わった直後、スタジオを出て真っ先に喫煙所に向かい、達成感や疲労感が入り混じった状態でうなだれるようにドアを開けた瞬間、知っている顔がいればふと、ああ、疲れましたねえ、と、つい本音を吐き出してしまう瞬間が往々にしてある。そんな他愛無い一言を皮切りにして、互いに心情をこぼしあい、どうでもいいようなシャレを言ってどうでもいいように笑えば、大抵のことは煙と共に換気扇がどうにでもしてくれるようなおおらかな気分になっていく。
あるいは周囲に大勢の人がいる時は近寄り難いような存在の方とも、喫煙所で少人数になると途端にすらすらと会話ができてしまうこともあり、これは本当に幸運で不思議なことである。あの時のあの喫煙所で会話した小話を先輩が本番中に振ってくださってハネたり、または喫煙所でたまたま一緒だったからという理由でご飯に連れて行って頂けたりすることもある。このように何かのきっかけとなった喫煙所での出来事を、私はラッキースモーキングチャンスと勝手に名付けているわけだが、このラッキースモーキングチャンスが人生を大きく左右することになる可能性もゼロではないのだ。もし喫煙所でウォーレン・バフェットとふたりきりになったとして、このチャンスを掴めば私はバフェットと飲みに行けるかもしれないのであり、なぜ例えがウォーレン・バフェットなのかは私自身も定かではないが、石油王などという簡単な例えに怠けなかっただけ褒めて欲しいものである。
アロマオイルをたいてジムに行く女に生まれていたらこんな無愛想な女に仕上がっていなかったかなと思うこともあるけれど、私は仕事終わりに自分の髪からたばこの香りが鼻をかすめるこの人生も気に入っている。きっとこの先の人生も、さまざまな瞬間をたばこの先から筋のように立ちこめていく煙の中で過ごすのだろうと考える。それはきっとドラマチックな瞬間でも、重要な瞬間でもなく、何か大きな出来事の前後、人生を歩んでいく上で必要などこかを整えるための狭間の時間を、きっとたばこと私で過ごしていくのだろう。頼りになる存在である。掲載にあたってみほさんに連絡を取っていた返事がたった今やってきたのだが「けんとやのにKENTを吸っていなかった、って書くんはどう?」と、驚くほど面白くない提案をされていた。最悪に面白くなかった。こんな人に私のたばこ人生を封切られたのかと思うと鼻血が出そうなほど悔しいものが込み上げてくるが、まあそのシャレはちょっと最悪に不採用だとしても、今もここまで書き上げられたのは右手に挟まるこのアメスピのおかげなのだからと、結局は彼女に礼を言いたくなるのである。
ヒコロヒー(ひころひー)
1989年10月15日生まれ、愛媛県出身。デビュー。2017~2020年4年連続NTV「女芸人No. 1決定戦THE W」準決勝進出。「ヒコロヒーとみなみかわ」にてM-1グランプリへ出場。現在テレビ朝日系「キョコロヒー」、TOKYO MX「5時に夢中!」、文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ!」( 木曜レポーター)に出演中。エッセイ集『きれはし』(Pヴァイン / ele-king books)、DVD『best bout of hiccorohee』(コンテンツリーグ)発売中。