心は女の子なのに、体が女の子じゃない。 誰も女の子だと認めてくれなかった。 そんな宿命を背負ってきたGENKINGさん。 それでも自分をあきらめることなく一歩一歩、 女性に帰るための道を歩んできた、これまでの心の葛藤や、今だから言える本音を語ってくれました。
いじめの原因が、夢を叶える鍵になる
外見の悩みは誰しも尽きないけれど、彼女の抱えていた悩みからすれば、些細なことに思えてしまう。それは「女の子じゃない」という悩み。GENKINGさんは物心ついたときからその悩みと向き合って生きてきた。いじめの対象になり、男性には恋愛対象と見られず、繰り返し傷つけられもした。そんな彼女は、どうやって自分の コンプレックスと付き合ってきたのだろう。
「性別は変えられないけれど、外見を少しでも理想に近づけることはできると思っていました。中学のころから毎週、鈍行で5時間かけて東京に通い、東京のヘアサロンで理想のメッシュを入れ、眉を整え、ピアスやネイルをして。カラコンも自分に合ったものを見つけるまで500種類くらい試したし、マツエクの長さやカールもあらゆるパターンを試しました」
そんな努力の甲斐もあってか、ちょうどブームになりつつあったインスタグラムに投稿し始めると“謎の美男子”と話題になり、芸能界での仕事をスタートさせた。けれどそのとき決めたのは、“ユニセックス”という立ち位置。
「本当はユニセックスなんかじゃないし、オネエなんて言われたくない。でもそれをテレビで告白する勇気もなかった。『オネエなんですか?』と司会者に聞かれ、崖っぷちに立たされた私は思わず『や〜よ!』って叫んじゃったんです」
その瞬間から、仕事は半年先までいっぱいになった。自分の内面とのギャップに悩む暇もなく、毎日平均3本の収録があり、寝る間もないほど。
「気がつけばコンプレックスがなくなっていたんです。短所でしかなかった“性のアンバランス”が最大の武器 になって、憧れの職業で注目された。長所と短所がコインの裏表みたいに、パッと返せばこんなに景色が変わるというのを目の当たりにした瞬間でした」
「きれい」「可愛い」ともてはやされるようになり、それまで欲しかったブランド品もみんな手に入った。一見、夢が叶ったようにも見えたが、それは本当の意味でのコンプレックスからの解放ではなかった。
「テレビでは女を隠して一人称を『僕』と言 い、ユニセックスを演じていました。でも、 家に帰ってシャワーを浴びるときに服を脱げば、ホルモン治療で大きくなった胸を潰したガムテープで肌はかさぶただらけ。そして見たくもない男の証しがついている・・・・・・。もうこんな偽りの人生はやめにしよう、と思ったんです」
ついに2017年、当時の事務所に断りなくインスタグラムで“性同一性障害”の 診断書を公開。仕事をストップして、性別適合手術を受けることに決めた。
「本当に大事なのは、お金でも地位でもない。一日の終わりに悩みなく安心して眠れること。そのためには女の子に戻るしかないと思ったんです」
タイで16時間に及ぶ壮絶な手術を受け、裁判所の手続きを経て“元輝”から“沙奈”へ と、戸籍の性別も名前も変えた。
「長年自分を苦しめてきた病気から解放された」と GENKINGさんは語る。
「私、コンプレックスって“夢”と同じだと思うんです。新しい人生が始まる扉。私にだって叶えられたんだから、みんなも叶えられるって思わない? 何か悪いことがあったとして、そのままにしていればそれは悪いことのまま。でもそれをバネにして立ち上がればいいことに変わるの。どんな状況でも、こうありたいと願い続けて、ちょっとの勇気を持つことで、なりたい自分になれるんだっていうことを伝えていきたい。 たった1回の人生なんだから」