“わたしの心地よさ”を基準に行動することが、ウェルビーイングに生きるカギになる。そのために、もっと自分自身を知る=自分のトリセツを手に入れませんか? 保健学博士の島田恭子さんがナビゲート。【連載「自分学 わたしのトリセツ」vol.42】
半世紀ぶりの屋久島で宇宙に触れる


先日、屋久島に行ってきました。
じつは私、生まれてから数年、この島に住んでいたらしいんです。親の仕事の都合で。
私の戸籍にはいまも「鹿児島県熊毛郡上屋久町」という文字が入ってます。届け出た役場の名前。もう合併してなくなった名前。ちょっと不思議な気分です。
赤ちゃんだったので、記憶はありません。
先日半世紀ぶりに、その島をゆっくり歩いてきました。
月のうち、35日は雨の島
ちょうど梅雨どきでした。屋久島の雨は有名で、林芙美子『浮雲』にも「月のうち35日は雨」と出てくるほど。雨の屋久島、それはもう美しいんです。濡れた緑がキラキラ光って、苔が水を吸ってふくらんで、ヤクシカが道端からこちらをじーっと見ている。ヤクザルは我関せずと毛づくろい。屋久杉の前に立つと、こちらが見上げているのか、見下ろされているのか、だんだんわからなくなってきます。
でも、いちばん忘れられないのは、大川(おおこ)の滝でした。
滝の前で、立ちすくむ

落差88メートル。雨のあとで水量が増していて、しかも滝つぼのすぐそばまで行けるものだから、全身に細かい水しぶきが降りかかってきます。私はしばらく、そこにぼーっと立っていました。
そのとき、ふしぎな感覚がやってきたんです。
この滝は何万年も前から、こうやって流れている。
私が生まれるずっと前も、赤ちゃんの私が親に抱かれてこの島にいたときも。そして私がいなくなったあとも、同じように流れているだろう。ここを通り過ぎていった、動物も人間も雨粒も、その全部を、この滝は同じ顔で見てきたんだろう。
ああ、私って、なんて小さいんだろう。
と同時にこうも感じました。うまく言えないのですが、「宇宙とつながった」みたいな感覚。
その感情には、ちゃんと名前があった

東京に戻り、この感覚をどう説明したらいいんだろうと考えていて…、思い出しました。心理学にはこの感情を指す言葉が、ちゃんとあるんです。
Awe(オウ)。
日本語では「畏敬(いけい)の念」と訳されます。
心理学者ケルトナーとハイトは、この感情を以下の2つで定義しました。
1:広大さ……自分をはるかに超えた、大きな何かに出会うこと
2:枠組みの更新……その大きさが、これまでの自分の世界の見方に収まりきらず、頭のなかの地図を描き直す必要が出てくること
滝の前で私が感じた「うまく言葉にできない」あの感じ。あれはたぶん、脳がせっせと地図を描き直していたんですね。
しかも「宇宙とつながった」というあの感覚。これも研究対象になっています。宇宙飛行士が地球を宇宙から眺めたときに起きる、オーバービュー・エフェクト(概観効果)と呼ばれる現象です。多くの飛行士が、圧倒的な感情と人類や地球全体との一体感を報告するそうです。
滝にいる私と、宇宙飛行士。感じていたものはたぶん、同じ種類のもの!?……そう思うと、ちょっと嬉しい気分になっちゃいました。
「私、ちっぽけだなぁ」がくれるもの

畏敬の研究でいちばん有名なのが、「スモール・セルフ(小さくなった自分)」という現象です。
こんな実験があります。参加者を、60メートル級のユーカリの巨木が並ぶ林に連れていく。そして1分間、見上げてもらうだけ。もう一方のグループには、大きな建物の壁を見上げてもらいます。
その後、実験者がうっかり、ペンの束をばらまきます。
すると…?
木を見上げたグループのほうが、明らかにたくさん拾ってくれる。しかも「自分は特別だ」という傲慢なキモチが少なくなっていたんですって! たった1分で。
ヨセミテ国立公園の同じような研究もあります。雄大な渓谷を眺めた人に、自画像を書いてもらうと、自分が小さくなる、という。
小さくなる、と聞くと、しょんぼりした感じに聞こえるかもしれません。でもまったく逆でした。
自分が小さくなったぶん、まわりが大きく見えるようになる。
あくせくしなくていいんだ、と、心に余裕ができる。
だから人に、やさしくなれる。
―—こんなロジックだったのです。
日本人の畏敬は、ちょっと特別

京都大学の大規模な日本語データの分析。「畏敬」「畏怖」「畏れ」などの言葉が、実際どんな文脈で使われているかを調べました。
わかったのは、日本語の畏敬は単なる「恐れ」でも「敬い」でもないということ。恐れと敬いのちょうど中間あたりで、その両方が混ざり合っている。そういう独特の言葉だったのです。
さらに面白いのが、日本とアメリカを比べた研究です。畏敬の「うつくしい」側と「こわい」側、それぞれの感じやすさを測ってみると——アメリカの人ではこの2つがバラバラに動くのに、日本の人では一緒に動いていた。
つまり日本人は、うつくしいと思うキモチとこわいと思うキモチを、セットで感じているらしいのです。
思い当たります。日本人にとって自然は、美しくてありがたいと同時に、畏ろしいもの。台風も地震も、この島国は知っている。だから神社は森の中にあるし、大きな木にはしめ縄が巻かれている。
屋久島の森が「神々しい」と同時に「なんだかちょっと畏れ多い」感じだったのは、気のせいじゃなかったんですね。私たちの文化は、ずっと前から畏敬を知っていた。
で、屋久島まで行かなきゃダメですか?

……という声が聞こえてきそうです。行けたら最高ですが、そう簡単じゃない。
そんなことなさそうです。
ユーカリの実験は、たった1分でした。特別な場所でも、特別な準備もない。ただ首を上に向けただけ。
だから今日からできることを、一緒にやりましょう。
1分だけ、見上げてみる
街路樹でもいい。ビルとビルの隙間の空でもいい。月でもいい。スマホを持つ手を下ろして、首を上へ。それだけで私たちのなかで何かが少し小さくなって、視界が、世界が、少し開けて広がっていく。
最後に
私たちは、毎日けっこうがんばってます。
比べて、気にして、足りないものを数えて。誰かの評価を、自分の価値だと思い込んで。
でもあの滝の前で、私はそのぜんぶを、いっぺんに忘れました。忘れさせられた、感じです。あんな大きなものの前では、私のいろいろなんてちっちゃすぎた。
だからもし、あなたが今日ちょっと疲れて、誰かと自分を比べてしまいそうになったら。
とりあえず、上を向いてみてください。
そこには、ずっと大きくて、ずっと前からそこにあって、わたしたちのことなんてまったく気にしていない、何かがあります。
そして、そのことに、すこしホッとするはずです
私たちはちっぽけだけど、宇宙とちゃんとつながっていると。

……じつは、あの雄大な滝で思ったことが、もうひとつありました。
「私たちの一生なんて、まばたきくらいの一瞬だ」
ふつうに考えたら、焦る話ですよね。でも研究を調べてみたら、逆の気持ちになりました。その話は、次回のお楽しみに。
参考文献
・Bai, Y., Maruskin, L. A., Chen, S., Gordon, A. M., Stellar, J. E., McNeil, G. D., Peng, K., & Keltner, D. (2017). Awe, the diminished self, and collective engagement: Universals and cultural variations in the small self. Journal of Personality and Social Psychology, 113(2), 185–209. https://doi.org/10.1037/pspa0000087
・Gordon, A. M., Stellar, J. E., Anderson, C. L., McNeil, G. D., Loew, D., & Keltner, D. (2017). The dark side of the sublime: Distinguishing a threat-based variant of awe. Journal of Personality and Social Psychology, 113(2), 310–328. https://doi.org/10.1037/pspp0000120
・Keltner, D., & Haidt, J. (2003). Approaching awe, a moral, spiritual, and aesthetic emotion. Cognition and Emotion, 17(2), 297–314. https://doi.org/10.1080/02699930302297
・Nakayama, M., Nozaki, Y., Taylor, P. M., Keltner, D., & Uchida, Y. (2020). Individual and cultural differences in predispositions to feel positive and negative aspects of awe. Journal of Cross-Cultural Psychology, 51(10), 771–793. https://doi.org/10.1177/0022022120959821
・Nakayama, M., & Uchida, Y. (2020). Meaning of awe in Japanese (con)text: Beyond fear and respect. Psychologia, 62(1). https://doi.org/10.2117/psysoc.2020-B004
・Piff, P. K., Dietze, P., Feinberg, M., Stancato, D. M., & Keltner, D. (2015). Awe, the small self, and prosocial behavior. Journal of Personality and Social Psychology, 108(6), 883–899. https://doi.org/10.1037/pspi0000018
・Yaden, D. B., Iwry, J., Slack, K. J., Eichstaedt, J. C., Zhao, Y., Vaillant, G. E., & Newberg, A. B. (2016). The overview effect: Awe and self-transcendent experience in space flight. Psychology of Consciousness: Theory, Research, and Practice, 3(1), 1–11. https://doi.org/10.1037/cns0000086
島田恭子(しまだきょうこ)
予防医学者・保健学博士。医学や心理学の知見を、女性のウェルビーイングに役立てたいと活動中。(社)ココロバランス研究所代表。著書『心が疲れたらセルフケア』が好評発売中。ストレスなく心の疲れを取り、元気を取り戻すための50の方法を紹介。
https://kokorobalance.jp/mn/kyoko

