キレイになるためには気持ちのメンテナンス、意識革命も重要です。業界で絶大な信頼を集める美容ジャーナリスト齋藤薫さんが、独自の視点で「いい女」に近づくためのヒントをお届けします。
セクシーの意味が激変した今もなお、SEXシンボルの幻影は辱められている?
映画『七年目の浮気』でマリリン・モンローが地下鉄の通気口の風でめくれ上がるスカートを押さえ、不可抗力とは言えパンティーがチラ見えするあの有名なシーンが、砂漠の中のリゾート地パームスプリングスで8m近い巨大な像となり、明らかに女性蔑視、時代錯誤も甚だしいと猛抗議を受けた。ここに改めて“セクシー”という形容詞の意味が完全に変わってしまった事実を思い知る。
20世紀のセクシーは、まさしくグラマラスで露出が多く、キワどくしどけない。しかし今の時代、セクシーと言えば、声優で不動の人気No.1花澤香菜とか、頭キレまくりの国際政治学者・三浦瑠麗。世界の美しい顔100人と世に蔓延(はびこ)るルッキズムに真っ向から噛み付いた水原希子、姿なき歌姫「うっせぇわ」のAdoなど、明らかに「才能」や「知性」「勇気」こそを世の中が“セクシー”と呼ぶようになっている。
いやそもそも英語のsexyはこういう人間の高級感をこそ賞賛する言葉。日本語のセクシーの意味が偏っていたのだ。従ってマリリン・モンローも、sexyというよりSEXシンボルだったのである。
でも知っていただろうか? モンロー自身はそういうイメージとは裏腹に、「男性と平等でありたいと望む女性は野心が足りない」「魅力的に見せたいならワンサイズ小さめの服を着なさい」など多くの名言を残した知性ある人だった。だから実はギャップに悩み、心を病んだとも言われるのだ。35歳の急死もそれと関係があったのか? そこも含め、女性蔑視の象徴だった大女優のちょっと切ない話である。
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