秋も深まる頃、白い湯煙が山並みにいっそう映える別府へ。その高台に佇む情緒あふれる明礬(みょうばん)温泉には、創業150年の老舗旅館「岡本屋」がある。神秘的な明礬の土地と湯、豊後の美味、女性に向けた新たな試み、そして名物プリン——感動体験を約束する癒やしの旅をレポート。
湯が最も恋しくなる季節、日本一の温泉郷へ
寒さこそ、湯の魅力が増す重要条件。 冷えた身体をゆっくりと湯舟に沈め、湯気に包まれれば、心身ともにリフレッシュ。温泉がその本領を発揮するのは、まぎれもなく寒い時季。となれば、これからの旅先候補に“おんせん県”は外せない。
“おんせん県”大分のなかでも別府市は、約2,800の源泉と、1分間あたり約10万リットルの湧出量を誇る、日本一の温泉郷。「別府八湯」と呼ばれる八つの温泉地は、泉質も土地柄も異なり、巡る楽しみが尽きない。湯を軸に、食や風景の楽しみが幾重にも重なる貴重な観光地だ。
「湯の花」の文化が息づく明礬温泉

「別府八湯」のなかでも、とりわけ個性豊かな明礬温泉。別府市街を見下ろす伽藍岳(がらんだけ)の中腹に広がるこの地域は、ふもとから山手へ上がると風景が一変。「湯の花小屋」と呼ばれるわら葺き屋根の小さな建物が並び、そこここから白い湯煙が立ち上り、硫黄の独特な香りがかすかに鼻をくすぐる。
この地は、江戸時代から続く「湯の花」の産地だ。「湯の花」とは、わら葺き小屋の中で温泉の噴気と青粘土(ぎち)が反応して生じる結晶からなる天然の入浴剤。その伝統的な製法は世界唯一、国の重要無形民俗文化財に指定され、また湯煙と小屋が織りなす景観は「別府湯けむり・温泉地景観」として国の重要文化的景観にも選定。湯の里そのものが、歴史の息づく貴重な作品といえる。
湯に溶かすと、ふっと朱色に染まる「湯の花」の白い結晶。明礬温泉の泉質は鉄とアルミニウムが結びついたpH3以下の強酸性の硫酸塩で、「湯の花」は神経痛や冷え性から、あせもやしっしんといった肌のトラブルまで、幅広い効能を持つ。
150年以上にわたり愛され続ける「岡本屋」

その明礬温泉で、最古参の旅館が「岡本屋」だ。 明治8 (1875) 年の創業から、2025年をもって150年。実は、ミョウバンの白い結晶を「湯の花」と名づけ、全国に売り広めたのは三代目当主・岩瀬保彦(やすひこ)氏だった。宿と「湯の花」の物語は、そのまま明礬の歴史と重なっていく。

表門を抜け、玄関のガラスの引き戸を開けると出迎えてくれるのは、白いユリが飾られた正面のキャビネット、ゆったりとしたテーブルとベンチ、柔らかな光を湛えるシャンデリア……時を重ねた家具や調度品が、空間に趣と温もりを与えている。

そして館内随所で目を引くのは、宿と縁の深いアーティストたちの美意識。ミョウバンと湯の花を使った温泉染の染色家・行橋智彦氏、湯の花による金属の化学反応の過程を作品に取り入れた現代美術家・福田周平氏、さらに石川県の伝統工芸・輪島塗の塗師・赤木明登氏といった実力者たちの作品だ。

これらのアート作品や調度品、窓越しの景色、飴色の木造の室内を彩る光の陰影などが溶け合い、この宿ならではの独特の風情を醸し出す。堅苦しくないのに、決して雑ではない。「品格とは、こういうことかも」と、ひとり納得してしまう。
時代を超えたホスピタリティを満喫する客室と夕食

客室は〈望海〉〈野菊〉〈牡丹〉〈松〉など、花と海の名を冠する全12室8タイプ。通された〈野菊〉は源泉かけ流しの内風呂付き。窓の外は弧を描く明礬大橋と眼下に別府の街並み。朝は湯煙、夜は湾の灯りと、季節ごと時間ごとに表情を変える景色を眺めるのも楽しい。

食事は明礬大橋のアーチ越しに市街まで一望する、開放感のあるダイニングで。夕食のメニューは地獄蒸しをメインとした2コースと、おおいた和牛がメインのコースと合計3つの会席プランから選ベる。

「地獄蒸し」とは、別府で昔から伝わる高温の温泉蒸気で食材を蒸し上げる調理法。油を使わずヘルシーで、食材の旨みをダイレクトに味わえる。

メイン料理のほか、特に印象的だったのは“迎え肴(スターター)”として供された薬膳土瓶蒸し。香り高い出汁の旨みが口の中にじんわりと広がって、しみじみ美味しい。一皿ごとにその丁寧な作りと心のこもった味に感動!
特別な温泉“ミルキーブルー”の効能

料理と並ぶ宿の楽しみといえば、もちろん温泉。「岡本屋」は、加水も加温もしない自噴源泉の100%かけ流し。湯面に白い湯の花を浮かべた、青みがかった乳白色の湯が湯舟を満たす。硫黄成分やメタケイ酸を豊富に含む酸性の湯は、古い角質を落とし、肌に潤いを与える美肌効果も期待できるのだそう。

山あいの冷気が湯煙を白く際立たせ、高台の露天から仰ぐ空がどこまでも高い晩秋から冬。冷えた身体をミルキーブルーの湯に沈めて目を閉じれば、流れ出る湯音のみが耳に心地よい贅沢な時間だ。
GINGER世代にも嬉しい、 新たな湯治スタイルを提案

こうした湯の恵みを「女性たちにももっと長く、もっと深く味わってもらいたい」と語るのが、七代目女将の岩瀬伸子さん。その想いを反映させたのが、新しい温泉体験のスタイルとして提案する「新湯治・ウェルネスⓇプラン」だ。
湯に浸かり、よく食べ、よく眠る。そうした古来の湯治文化を現代の滞在にアップデートしたもので、3泊・5泊・7泊のプログラムから選べる。硫黄泉の効能を医療・美容・健康の視点から捉え直し、地域の食や自然、文化の体験と組み合わせて、心と体を整えていく。

具体的には、宿泊初日の夕食に野菜の地獄蒸しを主体とした特別会席を提供。そのほか客室で3種のリラックスティーを楽しめたり、血圧計やフェイス用美容器具など美活グッズの無料貸し出し、滞在中の心身の変化を日々記録できるオリジナルの「湯治日記」のプレゼントなど「10の湯治ウェルネス特典」を用意。
湯治といっても気軽に楽しめる内容で、行き届いた自然なおもてなしで居心地がいい。長く育まれてきた伝統と文化が、旅人の肩の力をそっと抜いてくれる。
さらにもう一つ、女性に向けた特別イベントとして「岡本屋女子宿」を年に数回開催。女性が宿を独占・満喫できる特別な日で、普段は男性専用で人気の「庭園大露天風呂」も女性に開放。宿自慢の献立や名物のプリンを楽しめたり、魅力的な特別ゲストがセミナーやセッションを行ったり。最近では2026年10月にヘア&メイクアップアーティストの山本浩未さんを招き、キャンセル待ちが出るほど大盛況だったそう。このイベントも女性に「もっと元気に、より美しくなってもらいたい」という女将の想いからスタートした。
またカルチャープログラムとして、宿泊なしのデイイベント「サロン・ド・オカモトヤ」も開催中。人との交流や学びを楽しむ新しい宿のスタイルとして注目だ。
湯煙を眺めながら、30年続く自慢のプリンを味わう

さらに、この宿には忘れてはならない名物がある。夕食の最後にも供された岡本屋が手掛ける「元祖 地獄蒸し®プリン」だ。昭和63年から変わらぬ地獄蒸し製法を守り、職人がひとつずつ手作りする看板商品。温泉の蒸気でじっくり蒸し上げることで叶う、卵の濃厚さと、ほろ苦いカラメルの香ばしさが溶け合った、まろやかな味わいだ。
宿から歩いて1、2分ほどの岡本屋売店に併設するお茶屋なら、湯煙と湯の花小屋を眺めながら、宿泊客でなくても気軽に味わえる。プリンのほか、プリンを練り込んだ地獄蒸しプリンソフトや大分の郷土料理「とり天」など飲食メニューも充実。テイクアウト可能な品も多いので、帰りがけに立ち寄ってみるのもおすすめ。
硫黄の香りに包まれた明礬温泉は、ほかの温泉地では決して出合えない個性的な景観と雰囲気が漂う魅力に満ちたエリア。冬本番を目前に、冷たい空気のなかに立ち上る湯煙に和み、湯舟に浸かる幸せを堪能する。「岡本屋」で過ごす時間が、寒い季節を元気に乗り越えるチカラをくれるはず。












