「インターセクショナリティ」や「リプロダクティブ・ライツ」など、難しそうな概念をわかりやすい言葉で解説。知識の翼を授けてくれる、フェミニズムの入門書をご紹介。(ライター/雪代すみれ)
フェミニズムが対抗するのは「男性」ではなく「性差別」
「フェミニズム」や「フェミニスト」という言葉から「男を敵と考える思想」「男嫌いでモテないおばさん」「男を蹴落とそうとしている人」といったイメージを持っている人もいるだろう。
だがそれは誤解である。『フェミニズムはみんなのもの 情熱の政治学』(ベル・フックス 著/エトセトラブックス)では、
フェミニズムとは、性にもとづく差別や搾取や抑圧をなくす運動のこと(p.8)
フェミニズムとは男性に反対するものだという、文化的につくられた心理に深く根ざした思い込みを変えなくてはならない。フェミニズムが反対しているのは性差別なのだ(p.30)
のように、フェミニズムは男性を敵としているのではなく、性差別や家父長制(家長である男性が家族に対して権力を持つ構造)に反対する考えであることが繰り返し述べられている。
「男性が悪い」という認識で止まっていない?
私がフェミニズムに触れたきっかけは、セクハラ(性暴力)被害で深く傷ついたことだった。「いつ被害に遭うかわからない」と恐れながら仕事に行っていた状況下で、SNSで繰り広げられる自分と同じような経験に対する怒りの声は、心の支えとなっていた。
被害が被害として認められないような、理不尽なことをされても抗議が受け入れられないような社会でオンラインで声をあげられることは非常に重要だ。怒りによって自分の傷つきを言語化するプロセスは、自分の回復にも大きな影響を与えた。しかし、フェミニズムに出会って数年間は「男性が悪い」という認識で止まっていた自分がいたのも事実である。
本書ではフェミニズム運動の当初、コンシャスネス・レイジング(意識を高めること)の集まりが
女性たちが、犠牲にされてきたことへの恨みつらみや怒りを発散するだけの場になりがちだった(p.24)
それにたいしてどうしたらいいのか、またそうしたことを変えるには何をしなくてはならないのかの論議が、ほとんどないことが多かったのだ(p.24)
と指摘されており、過去の自分と重なった。私自身、一時期は男性そのものを敵対視してしまっていたが、回復するにつれ、徐々に構造的な問題に目を向けるようになり、同じように苦しむ人が出ないために、包括的性教育が広がってほしいと願い、知ることで変わる人もいるため、性差別をなくすためのヒントとなる情報をわかりやすく伝えたいと思うようにもなった。
男性だけでなく女性も性差別的でありうる
人々は性別を問わず性差別的な考え方のある社会で生きているため、本書では男性だけでなく女性も性差別的でありうることが言及されている。
わたしたちはみな、頭や心を変えないかぎり、そして、性差別的な考えや行動をやめてフェミニズム的な考えや行動をとらないかぎり、連綿と続く性差別に加わっているということである(p.9)
たとえば母から娘への「女らしくしなさい」という抑圧も性差別である。ここでの「女らしさ」とは、多くの男性から好まれるような、上品もしくはかわいらしい振る舞いをし、細かいことに気配りができるといった「男性にとって都合のいい女らしさ」という意味だ。ただし、母も娘を女らしく育てなければ「母親のしつけ」が責められるという社会から抑圧を受けているのであり、ここでも真の敵は家父長制や性差別であることを忘れてはいけない。
本書は階級や人種など、インターセクショナリティ(交差性)の視点でフェミニズムが向き合うことも問いかけており、たとえばフェミニズムの中に人種的偏見があったことが指摘されている。複合的な差別の視点がないと見落としてしまうものがある。考え方の視野が広がり、自身の特権性にも気づかされる一冊だ。
『フェミニズムはみんなのもの 情熱の政治学』(ベル・フックス 著/エトセトラブックス)
Amazonで購入する