美術を面白おかしく、わかりやすく解説する“アートテラー”として活躍するとに~さんによる連載。読者の皆さまからの質問も随時受け付けています!
こんばんは。アートテラーのとに~です。緊急事態宣言が延長されてしまいましたね。通常時は毎日のようにどこかしらの美術館を訪れていただけに、3週間近く美術館に行ってないとなると、精神面がすっかり栄養不足に…。飲食店を開けられるなら、美術館も開けてほしいものです。20時までには閉めますし。マスク鑑賞しますし。
さて、美術館に取材に行けないので、本日は不定期企画「巨匠たちのすべらない話」の第5弾をお届けしたいと思います。
巨匠と言われる芸術家たちは誰でも1つはすべらない話を持っており、そして、それは誰が何度聞いても面白いものである。すべらんなぁ。
若き日のモネはクズキャラだった?
《睡蓮》や《積みわら》など、多くの名作を残した印象派の画家クロード・モネ。その穏やかな作風からは想像ができないでしょうが、実は若き日のモネ、つまり下積み時代のモネは、基本的にお金の話ばかりしていたようです。というのも、友人やパトロンに手紙を送っては、お金を無心するのが常でした。嫁や子供をダシにするのは当たり前。「不幸な星の下に生まれた」だの「愚かにも水に飛び込んだ」だの、よくわからない同情を誘い、お金を要求することも。「さして親しくもない人に借金を申し込んで冷たくあしらわれた」という謎のアピールをしたこともありました。
モネと名前がよく似たマネには、こんな手紙を送っていたそうです。
「20フラン紙幣を送ってくれれば、15分はしのげる」
……いや、15分しか保たないんかい!
実はキレキャラなミレー
《種をまく人》や《晩鐘》など、自然や大地とともに生きる農民の姿を敬虔に描き、「農民画家」と呼ばれたジャン=フランソワ・ミレー。しかし、最初から農民を描いていたわけではありません。実は若い頃は、生活のために裸体画も多く描いていたようです。そんなある日のこと、ミレーは自分が描いた裸体画の前で若者2人が会話している場面に遭遇しました。
「なぁ、お前、この画家知ってる?」
「あー、はいはい。確か、裸の女しか描かないミレーって画家じゃなかったっけ?」
そんなイメージが付いていたなんて! ショックを受けたミレーは、妻に「裸体画は二度と描くもんか!」と宣言し、自分が自由に描きたいものだけを描くべく、バルビゾン村に移り住んだそうです。
ちなみに、若き日のミレーは同じく生活のため肖像画も多く描いています。とある市から、数年前に亡くなった市長の肖像画をオファーされました。その市長と面識が無かったミレーは、残された資料からどうにか肖像画を仕上げました。ところが、市議会は「本人に似ていない!」という理由で受け取りを拒否。それに腹を立てたミレーは、市長の肖像画とともに《モーセに扮した自画像》を市に贈り付けました。その絵の中では、怒りの表情を浮かべたミレーが、手にした十戒の「汝隣人に対して偽りの証をするなかれ」という一文を指差しています。結果、市はミレーに当初提示した金額の3分の1を支払ったそうな。「あなたは芸術以外にも、礼儀作法を学んだほうがいい」という言葉を添えて。
大正時代のキラキラネーム
『みだれ髪』で知られる歌人の与謝野晶子は、パリに渡る前から、彫刻家のオーギュスト・ロダンを尊敬していたのだそう。ロダンと交流のあった有島生馬の紹介状のおかげで、晶子はパリ滞在中に、その憧れのロダンと対面することができました。その感激の様子は、『ロダン翁に逢つた日』という随筆に記されています。
さてさて、そのパリ滞在中に妊娠した晶子は、帰国後、四男を出産しました。長男は光、次男は秀、三男は麟と来て、四男に付けられた名前は、アウギュスト。そう、ロダンの名を取って付けられた名前です。妹のエレンヌとともに、12人兄弟の中で異彩を放っています…。
ちなみに。パネルにある『昱』という名は、大人になったアウギュストが本人申請で改名したものとのこと。アウギュスト自身は、その名前を気に入っていなかったようですね。
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