映画ライター渥美志保さんによる連載。ジャンル問わず、ほぼすべての映画をチェックしているという渥美さんイチオシの新作『ドライブ・マイ・カー』をご紹介。作品の見どころについてたっぷりと語っていただきました!
平穏な日常の裏で、壊れてしまった人生
飛行機が欠航で旅がキャンセルになり自宅に戻ったら、脚本家の妻が若手俳優を連れ込んでセックスしている最中だった――なんてことがあったら、普通の男性なら頭に血が上り、ものすごい修羅場が始まるんじゃないかと思います。でもこの映画の主人公、俳優で演出家の家福(かふく)は、ふたりに気づかれぬようこっそりとUターンしてその場から逃げ出します。
夫婦はかつて子供を亡くしています。妻が「また子供が欲しい?」と尋ねるのは、子供が欲しいから――それはもしかしたら、家福とのつながりが欲しいから。でも家福は「あの子以外の子供はいらない」とその言葉を遠ざけます。
そんなある日、妻から「帰ってきたら話がしたい」と言われた家福は、彼女から別れを切り出されるのが怖くて、用もないのにわざと遅くに帰ります。もし普通の時間に帰ってさえいれば、くも膜下出血で倒れていた妻を救えたはずでした。家福はこうして、失いたくなかった妻を永遠に失ってしまいます。
家福の日常は何事もなかったように続きますが、その平穏の裏で彼の人生は決定的に壊れてしまっています。子供を失って「あの子以外の子供はいらない」と言った家福の過去のしがらみに縛られて生きる姿は、妻が愛した車への執着として描かれます。もちろん「平穏に見えて壊れた人生」を生きているのは、彼だけではありません。かつて妻の浮気相手だった若手俳優や、彼が雇うハメになった女性ドライバーも同じです。
映画は結局のところ「向き合うことでしか人は前に進めない」という、わかりやすくストレートなメッセージに辿り着きます。
でもこの映画が素晴らしいのは、そこに至るまでにの個々のエピソード。カンヌ国際映画祭脚本賞受賞も納得の、ストーリーテリングの素晴らしさです。
セックスの後、明け方の空を見ながら妻が虚ろに語る、つかみどころがないのに何かを語っているような物語。いつもそれを忘れてしまう妻に代わって、記憶し聞かせる夫。岡田将生演じる浮気相手の俳優が、徐々に増してゆく不気味さと暴力性。三浦透子演じるドライバーが、故郷に埋めた恐ろしくも悲しい過去。
上映時間の長さを感じさせない、心を掴まれ続ける3時間です。
『ドライブ・マイ・カー』
監督/濱口竜介
脚本/濱口竜介、大江崇允
出演/西島秀俊、三浦透子、霧島れいか、岡田将生ほか
(c)2021『ドライブ・マイ・カー』製作委員会
https://dmc.bitters.co.jp/
※8月20日(金)TOHOシネマズ日比谷ほか全国公開
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