日ごろから“言葉”についてあれこれと思いを巡らせている壇蜜さんの連載『今更言葉で、イマをサラッと』第17回目。言葉選びと言葉遣いが、深く、楽しくなる。そして役に立つお話。どうぞお楽しみください!
その17『絶対』
「これからの時代、恐らくあの国は絶対に来ると思う」・・・これは、少し前に参加したドラマで聞いたとある役の人のセリフだ。経済成長が著しい小さな国を発見し、秘密裏に取引しようとかなんとか・・・そんなシーンで出てきたのを覚えている。「恐らく、絶対に、思う・・・?」と絶対という言葉を推測の表現でサンドイッチした不思議な言い回しになぜが気持ちがそわそわしてしまった。結局その言葉を発した者の予想は外れて失脚・・・という流れになるのだが。
絶対。「絶体絶命」で使われる絶体とは違う。ちなみに絶体はどうにも逃れられない窮地やピンチ的状況のことをいう。絶体絶命という熟語でしか使わない場合がほとんどだろう。そして絶対。調べたところこれは他のものとの比較、対立などを絶している・・・他の何にも侵略、制限されない状態をしめすという意味だった。だから「決して、どうしても、必ず」などの意味を持つのだという。
強い力を感じる言葉だ。しかし、今のご時世のせいかどうにも使いにくいと私は思う。絶対に罪はないと思うのだが、この絶対を会話内で頻発されると「本当か・・・?」と思ってしまう。「絶対に約束」「絶対大丈夫」「絶対に帰ってくる」これらのセリフをドラマや漫画のなかで聞いてしまう(見てしまう)と、何となく絶対と言った者がとんでもない目に遭って約束も大丈夫も帰ってくるも叶わないような展開が多い気がするのは私だけだろうか。
人は皆、安心したいしさせたいから暗示の目的でも「絶対」を使うのだという。絶対には強い希望が託されているのだろう。言って責任がない場面だと言霊信仰を重んじるようでいい流れになるかもしれない。しかし、ビジネスや交渉ごとで絶対を出しすぎると私的な感情を隠しきれていないように捉えられ、どこかで疑われたり、つけ込まれる恐れがある。できることなら絶対が出てきそうな熱量をぐぐっとおさえて、冷静に「それは確認します」「ここまでは実証できています」などの正直な意見で話を進めたいものだ。社会では絶対がそうでなかった場合、償ったりフォローする代償があまりにも大きすぎる。絶対に絶対はない、昔の武将もそう言っていたのだから。