“大人のフリ”して放置(我慢したり、見て見ぬふりしたり)せず、煩わしい人間関係をぶった斬り、好きな人たちとだけ生きていく――。そんな“自分基準”を掲げて、人生を楽しく、生きやすくしていきませんか? 脚本家 岸本鮎佳さんの連載「私、幸せになるんで。はい、サヨウナラ」。あなたの人間関係やモノ付き合いの整理整頓&取捨選択に際し、ぜひご参考に!
VOL.21 レジ前で石像になった男
20代前半の時、10歳年上の男性とお付き合いしました。
20代の私は早く大人になりたかった。だから、年上の大人の男性と付き合うことで、自分が大人になった気がして、年上男性に憧れがあったのです。
その彼は、コミュニケーション能力が非常に高く、どんな人とでも仲良くなれる人気者でした。人を笑わせるのが好きで、彼の周りにはいつも人が集まる。
体重は私の倍あって、顔も決して好みのタイプではないけれど、その明るさに惹かれ、お付き合いすることに。
彼のご両親は海外に移住しているらしく、彼は実家の一軒家で一人暮らしをしていた。
付き合い初めの数回は、外食をしても彼がご馳走してくれた。でも、恋愛経験も乏しく、奢られ慣れていなかった私は、10歳年上といえど、申し訳ない気持ちになり、割り勘にしよう!と提案。自分の分は自分で払うようになった。
ここまでは、何も問題はない。
未だに奢られ慣れない私は、むしろお付き合いしたら割り勘の方が、気が楽になる。だが、付き合って1ヵ月後くらいから彼の金銭感覚に、違和感を覚えるようになる。
2人でランチに行った時、「今細かいのないから出しておいて」と言われ、あとで返してくれるものと思っていたが、その日は返ってこなかった。
まぁ、でも¥1,000くらいだし、それくらいの金額でネチネチ言うのも何か小さい女だと思われたくないし、まぁまぁ…と気づかないふりをしつつ、心にはちょっとしたモヤモヤが生まれる。
次に食事に行った時に感じた違和感は、割り勘と言いつつ私の方が多く払ってないか?というもの。例えば会計が¥2,300だったら、千円札を1枚出すだけ。細かいのがないから、と私が2人分の飲み物を自販機で買う。
それくらい、細かいお金。
でも、いつもいつも「あとで返すから出しといて」と言うわりに、返ってきたことはなかった。それは金額的に些細なものだったので、私は気づかないふりをした。それに、世の中のカップルも付き合えば意外とこんなものなのかな?と軽く考えていたのだ。
そんななか、私のモヤモヤを決定的づける出来事が起こった。
「給料日前で金欠だから家で夜ご飯を食べよう」と彼の家にいた時のこと、彼の地元の先輩から「一緒にご飯を食べよう」と電話がかかってきた。
私は当然断るものだと思っていたのだが、彼は、
「先輩が焼肉奢ってくれるって!」
と、弾んだ声で当然のように出かけようとしている。
「え、ごめんちょっと待って。でも、私もご馳走になるわけにいかないよ?」
と断るも、「大丈夫大丈夫」の一点張りで、結局行くことになってしまった。
先輩ご夫婦はとても良い方で、その宴は楽しかったのだが、いざ会計の時になり、ふと彼を見ると、何も聞こえないフリをしているかのように棒立ちで微動だにしない。
まるで、彼だけ時が止まっているかのように、動かない。
石像のように固まっている。
私はそんな彼を見たくなくて、先輩ご夫婦から見えないように、財布を彼に握らせた。
10歳年上の彼に…。
すると彼は、ようやく状況を察し、明らかに女物の財布から、おずおずとお金を出そうとしている。
しかしすべての状況を察した先輩夫婦は、
「しまって…」
と静かに微笑んだ。
その目に一瞬、私に対する同情の念が滲み出ていたのを、私は見逃さなかった。
「あ、じゃあ…ごちそうさまです」
と一応申し訳なさそうにペコリする巨体の彼。恥ずかしさのあまり、今度は私が石像になった。
声を絞り出し、「ごちそうさまでした」と一言伝えるのが精一杯だった。穴があるなら、今すぐこの巨体と私を閉じ込めて欲しい。
言うまでもなくその日をきっかけに、私の彼に対する気持ちは氷点下20度になった。
本当はこれまで貸したお金も全部返して欲しかったけど、お金の返済を求めた時に彼が、またあの時の石像みたいになったら、もう私が立ち直れない気がしたので、静かに別れを告げた。
たとえ少額でも、お金を借りて、返さない男はろくな男じゃない。
別れて数年後、私は彼が朝パチンコ屋に並んでいるのを偶然見かけたことがある。
そういうことだ。
お金の価値観はなかなか変わらないし、変えられない。
きっと今も、彼は変わってないのだろう…。
さっさと別れを告げた20代の私、偉いぞ!
と自分を誇らしく思う。
サヨウナラ…
石像男…。
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