こんばんは。アートテラーのとに~です。
2017年の末からスタートしたこの連載。気付けば3年が経過&50回を超えていました。・・・・・・だからといって何というわけでもなく、今日も通常営業でお送りいたします。
そんな今回は、過去2回にわたってご紹介した『巨匠たちのすべらない話』の第3弾をお届け。
巨匠と言われる芸術家たちは誰でもひとつはすべらない話を持っており、そしてそれは誰が何度聞いても面白いものである。すべらんなぁ~。
北斎の天敵の正体は・・・
「生涯で93回引っ越しをした」「勝川春朗、二代目俵屋宗理、画狂老人卍、鉄棒ぬらぬら・・・など、30回も改名した」「自分の娘のことを『アゴ』と呼んでいた」等々、奇想天外なエピソードに事欠かない葛飾北斎。
代表作である《富嶽三十六景》シリーズや、日本各地の珍しい橋を描いた《諸国名橋奇覧》シリーズなどさまざまな名作を残していますが、《日新除魔図》という作品群をご存じですか?
これらはすべて獅子や獅子舞の絵が描かれていて、除魔、つまり魔を除くべく、北斎が83歳の頃に完全プライベートで毎日1枚ずつ描いていたもの。描き終わるや否や丸めてポイッと家の外に捨てていたのだそうです。
そこまで北斎を悩ませる魔の正体は・・・なんと北斎の実の孫! 放蕩を繰り返すかなり素行不良な孫だったようで、その孫が作った借金を北斎が肩代わりしていたという説もあるほどです。実の孫を“魔”呼ばわりするなんて・・・よっぽど困り果てていたのでしょうね。
やりすぎ!?ターナー
イギリス最高の画家との呼び声が高いJ. M. W.ターナー。そのゆえんは、ターナーの風景画に対する強いこだわりにあります。
ターナーが活躍した当時、絵画にはジャンルによってヒエラルキーが存在していました。「歴史画>肖像画>風景画」といった形で、風景画というジャンルはそこまで尊重されていなかったそうです。しかし、風景画に生涯こだわったターナーは、風景画に “崇高”という概念を取り入れることで、その地位を大きく向上させたのです。
確かに、ターナーの絵は“風景を模写した”というレベルではないリアルな世界が描かれており、神々しさすらおぼえるほど。強引に例えてみるならば、それまでの風景画が「近所のおじさんが旅行先で撮ってきた風景写真」ならば、ターナーの描いた風景画は「ディスカバリーチャンネルの映像」といったところでしょうか。感動の差は歴然ですよね。
画壇で一定の評価を得ても、ターナーの風景に対する探究心は変わらず、むしろ深まるばかり。
70歳近くのときには、嵐で荒れ狂う海をよりリアルに表現したいがために、とんでもない行動に。なんと、嵐のなか船で海に出て、そのマストに自らを縛り付けるよう命じたのです。それも4時間!・・・いやいや、何も縛り付けられなくても。さすがにやりすぎですよね。
慌てない、慌てない♪
アメリカでは知らない人がいないという国民的画家、アンナ・メアリー・ロバートソン・モーゼス。通称グランマ・モーゼス(モーゼスおばあちゃん)。
グランマ・モーゼスが本格的に筆を握ったのは、なんと76歳の頃。70歳で夫を亡くし、その悲しみを紛らわせるため趣味であった刺繍に打ち込んでいましたが、持病のリウマチが悪化。それを見かねた娘さんが「だったら絵を描いてみたら?」と勧めたのがきっかけだそうです。
独学ながら、その才能は目を見張るものがあり、80歳の時には個展を開くまでに。さらに89歳の時には、当時の大統領トルーマンもグランマ・モーゼスの絵に惚れ込み、ホワイトハウスに招待するほどだったのだそう。
そんな彼女にも驚きのエピソードが。
ある日、ニューヨークの画商が「すべての作品を買い取りたい。何点ありますか?」と彼女の家を訪ねてきました。その時グランマ・モーゼスは不在で、代わりに応対した息子の嫁が「10点あります」と答えました。すると画商は「明日また来ます」と言ってその場をあとにしました。
帰宅したグランマ・モーゼスにそのやり取りを伝えると、絵は9点しかないとのこと。「なんてこと・・・」と焦る嫁。しかし、グランマ・モーゼスは動じることなく、そのうちの1点にハサミを入れて2つに分け「これで10点になった」と言ったのだとか。・・・一休さんもびっくりのとんちです。
天才と呼ばれるアートの巨匠たちの作品の裏には、このような驚きのエピソードが隠されているのです。
知っていると、作品を観る目も少し変わるかも!?
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